2年 生活 雨の日 たんけん

雨の日 たんけん ── 雨は、かくれて いた ものを 見せて くれる

朝 おきて、まどの そとが 雨だと、「今日は はずれの 日だ」と 思って いませんか。そとで あそべない、たいいくは 教しつに なる、町たんけんは のびる。でも ほんとうは、雨の 日は 晴れの 日には ぜったいに 見られない ものが 見られる、とくべつな 日です。水たまりは 地面の ひみつを、雨の 音は ものの 名前を、ぬれた 道は 生きものの すがたを 見せて くれます。雨は、晴れの 日に かくれて いた ものを つぎつぎ 見せて くれる、たんけんの 先生なのです。

水たまりは、どこにでも できるのでは ない

雨の 日の 校てい や 道を 思い出して ください。水たまりは、地面の ぜんぶに 広がって いる わけでは ありません。できる 場しょは、いつも 決まって います。校ていの あの へこみ、ろう下の 前の あの ますの よこ。雨が ふる たびに、同じ 場しょに 同じ 形の 水たまりが できます。

どうしてでしょうか。それは、水には 「ひくい ほうへ ながれる」と いう きまりが あるからです。ふって きた 雨は、地面に 当たった あと、その 場に じっと して いません。ころころと ひくい ほうへ ながれて いき、いちばん ひくい 場しょに あつまって 止まります。それが 水たまりです。

 地面を よこから 見た 図  雨 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓  ──、、      ,,── ← 高い ところ     \____/     ← ひくい ところ      〜水たまり〜  水は ひくい ほうへ ながれて、あつまる

ここで ふしぎな ことに 気づきます。校ていも 道も、見た 目は たいらです。でも 水たまりが できると いう ことは、たいらに 見えて いた 地面に、じつは 高い ところと ひくい ところが あったと いう ことです。人間の 目では 分からない 地面の でこぼこを、水は まちがえずに 見つけます。つまり 水たまりは、水が かいた 「地面の 形の 地図」なのです。

だから 雨の 日の たんけんの 1つめは、水たまりの 場しょを おぼえて おく ことです。そして つぎの 雨の 日に、「また 同じ 場しょに できるか」を たしかめます。きっと 同じ 場しょに できて います。もし 新しい 水たまりが できて いたら、その 場しょの 地面が 何かの りゆうで へこんだ と いう ことです。なお、水たまりの 水が その あと 地面に どう しみこんで いくかは、4年生の 理科で くわしく しらべます。

雨の 音は、「雨の 音」では ない

つぎは、耳の たんけんです。やねの 下や げんかんで、目を つぶって 雨の 音を 聞いて みて ください。よく 聞くと、雨の 音は 1しゅるいでは ありません。ポツポツ、パラパラ、ぴちゃん、ザーッ。いろいろな 音が まざって います。

じつは、雨つぶ そのものは、空を 落ちて いる あいだ ほとんど 音を 出して いません。わたしたちが 聞いて いるのは、雨つぶが 何かに 当たった しゅんかんの 音です。だから、当たる ものが ちがうと、音も ちがいます。

 雨の 音は 「当たった ものの 音」  かさ     → ポツ、ポツ(たいこの よう)  金ぞくの やね → パチパチ (高くて 大きい)  木の 葉っぱ  → パサ、パサ(やわらかい)  水たまり   → ぴちゃん (水どうしの 音)  地面や すな  → ほとんど 音が しない

かさを さして いる ときの ポツポツと いう 音は、かさの ぬのが たいこの かわのように ふるえて いる 音です。同じ 雨なのに、金ぞくの やねの 下では パチパチと 高い 音に なり、木の 下では 葉っぱが 音を やわらかく して くれます。目を つぶった まま、「今の 音は 何に 当たった 音か」を 当てる あそびが できます。音だけで、まわりに 何が あるかが 分かるように なったら、たんけん名人です。

雨の 強さでも 音は かわります。「ザーザー」と「しとしと」で 雨の ようすが まるで ちがって つたわる ことは、音や ようすを あらわす ことばの 記事に くわしく 書いて あります。雨の 日は、この ことばたちの 本番の 日です。自分の 耳で 聞いた 音を、自分の ことばで 書きとめて みましょう。

雨の 日に しか 会えない 生きものが いる

雨の 日の 道ばたには、晴れの 日には いなかった 生きものが 出て います。ゆう名なのは かたつむりです。ブロックべいや あじさいの 葉の 上を、ゆっくり すすんで います。

かたつむりが 雨の 日に 出て くるのには、ちゃんと した りゆうが あります。かたつむりの 体は、いつも ぬれて いないと いけません。体の 水分が なくなると、よわって しまうのです。だから 晴れの 日は、からの 中や 葉の うらの 日かげに かくれて、じっと がまんして います。雨の 日は、体が かわく しんぱいが ない、あんしんして 出かけられる 日。人間には 「はずれの 日」でも、かたつむりには 「おでかけびより」なのです。

みみずは、その ぎゃくの りゆうで すがたを 見せます。みみずは いつも 土の 中に すんで いますが、雨が たくさん ふると、土の すきまに 水が いっぱいに なって、土の 中に いられなく なり、地面の 上へ 出て きます。つまり、同じ 雨の 日に、「うれしくて 出て きた かたつむり」と 「こまって 出て きた みみず」が ならんで いるのです。生きものに よって、雨は ごちそうにも こまりごとにも なります。身の まわりの 生きものの くらしは、生きものを さがそうの 記事でも たんけんして います。

どちらも、さわるより 目で 見る 生きものです。とくに 道の 上の みみずは、ふまれそうに なって いたら、葉っぱなどで そっと 草むらへ もどして あげると よいでしょう。

町には、雨の 通り道が 作って ある

雨の 日の 町を よく 見ると、びっくりする ことが あります。町は、雨の 日の ために 作って あるのです。

たとえば、家の やねの はしには、とい(雨どい)と いう みぞが ついて います。やねに ふった 雨を あつめて、たての くだで 地面まで おろす ための ものです。晴れの 日には ただの ぼうに 見えますが、雨の 日には ちゃんと 水が 通って いて、出口から 水が 出て います。

道にも しかけが あります。道の はしには みぞが あり、ところどころに あみの ふたが あります。そして 道は、まん中が ほんの すこし 高く、はしが ひくく 作って あります。水の 「ひくい ほうへ ながれる」きまりを つかって、雨水が ひとりでに 道の はしへ あつまって、みぞに 落ちるように して あるのです。

 雨水の 旅を たどって みよう  やね → 雨どい → たての くだ → 地面  道の まん中 → 道の はし → あみの ふた → みぞの 中へ  (どれも 「ひくい ほうへ」の くりかえし)

雨の 日の たんけんでは、この 水の 旅を たどるのが おもしろい あそびに なります。ふった 雨が、どこを 通って、どこへ きえて いくのか。やねから たどっても いいし、道の 水の ながれを 目で おいかけても いい。いつもの 町たんけんで 歩いた 「知って いる 道」が、雨の 日には べつの 顔を 見せて くれます。そして、こんなに たくさんの しかけを、だれかが 雨の 日の ことを 考えて 作って くれた のだと 気づきます。

雨の日 たんけんの したくと やくそく

雨の日 たんけんには、したくが いります。いちばん よいのは 長ぐつと レインコートです。かさでも よいのですが、かさは かた手が ふさがるのと、前が 見えにくく なるのが よわみです。レインコートなら 両手が 自由なので、しゃがんで 生きものを 見るのも らくに できます。

 したく と やくそく  【したく】  ・長ぐつ と レインコート(両手が 自由に なる)  ・明るい 色の ふく(車から 見つけて もらいやすい)  ・ハンカチと きがえ(ぬれた あとの ため)  【やくそく ── やらない こと】  ・かみなりが 鳴って いる ときは 出ない  ・水が ふえた 川や みぞには ちかづかない  ・ふかさの 分からない 水たまりに 入らない  ・くらく なる 前に 帰る

明るい 色の ふくに するのには、りゆうが あります。雨の 日は、車を うんてんする 人からも 前が 見えにくく なって います。くらい 色の ふくは、雨の まくの むこうで 見えなく なりやすいのです。「自分から 車が 見える」では なく、「車から 自分が 見える」ように する。これは 雨の 日の 歩き方の きほんです。

やくそくの ほうは、どれも 「水は あつまると 力もちに なる」と いう 話に つながって います。みぞや 川の 水は、ふだんは おとなしくても、雨で ふえた ときは 大人でも 立って いられない 力に なります。たんけんして よいのは、あんぜんな 場しょの、あさい 水だけです。

雨が やんだ あとも、たんけんは つづく

雨が やんでも、たんけんは おわりでは ありません。まず、水たまりを のぞいて みて ください。風の ない 日なら、水たまりに 空や 木や 自分の 顔が うつって います。地面の 上に、小さな かがみが できて いるのです。

そして、その 水たまりを つぎの 日、また つぎの 日と 見に いくと、だんだん 小さく なって、やがて きえて しまいます。あんなに たくさん あった 水は、どこへ 行ったのでしょうか。じつは 行き先は 2つ あります。1つは 地面の 中。土に すこしずつ しみこんで いきます。もう 1つは、なんと 空です。水は、目に 見えない すがたに かわって、空気の 中へ 出て いくのです。この ふしぎの つづきも、4年生の 理科で ちゃんと しらべる ことに なって います。2年生の 今は、「水たまりは 地面と 空の 2つに きえて いく」と いう ことを、自分の 目で 見て おぼえて おけば じゅうぶんです。

雨の 日と いうのは、空から 水が とどいて、地面を 旅して、生きものを よろこばせたり こまらせたり して、さいごに また 地面と 空へ 帰って いく ── その ぜんぶが 見られる 日です。つぎに 朝 おきて 雨だったら、「はずれの 日」では なく、「かくれて いた ものが 見られる 日」だと 思って、まどの そとを 見て みて ください。

たしかめて みよう

Q1 水たまりが いつも 同じ 場しょに できるのは、なぜですか。

A 水には ひくい ほうへ ながれる きまりが あるからです。たいらに 見える 地面にも 高い ところと ひくい ところが あり、水は いちばん ひくい 場しょに あつまります。

Q2 雨の 音の 正体は、何の 音ですか。

A 雨つぶが 何かに 当たった しゅんかんの 音です。かさ・金ぞくの やね・葉っぱなど、当たる ものが ちがうと 音も ちがいます。

Q3 かたつむりと みみずは、どちらも 雨の 日に 出て きます。りゆうは 同じですか。

A ちがいます。かたつむりは 体が かわく しんぱいが ない ので うれしくて 出て きます。みみずは 土の 中が 水で いっぱいに なって こまって 出て きます。

Q4 道の はしの みぞに 雨水が ひとりでに あつまるのは、なぜですか。

A 道が まん中を 高く、はしを ひくく 作って あるからです。水の 「ひくい ほうへ ながれる」きまりを つかった、町の しかけです。

Q5 雨の 日に 明るい 色の ふくを きるのは、なぜですか。

A 雨の 日は 車を うんてんする 人から 歩く 人が 見えにくい からです。「車から 自分が 見える」ように するのが 雨の 日の きほんです。

Q6 きえた 水たまりの 水は、どこへ 行きましたか。

A 行き先は 2つ。地面の 中(しみこむ)と、空(目に 見えない すがたに なって 空気の 中へ)です。

まとめ

おうちの方へ

生活科の「雨の日」の学習は、雨を我慢の対象ではなく観察の対象に変えることがねらいです。本文では、水たまり(地面の低い場所に水が集まる)、雨音(落下する雨粒ではなく衝突音である)、雨の日の生き物(カタツムリとミミズで出てくる理由が正反対)という3つの発見を軸にしました。どれも特別な道具がいらず、通学路や庭先で確かめられます。

水たまりの位置が毎回同じであることは、4年生理科「雨水のゆくえと地面の様子」(流れ方と傾き・しみこみ方と土の粒)へそのままつながる原体験です。「またここにできたね」「なんでここだけだろうね」と場所に注目する声かけが、学年が上がったときの理解の土台になります。

安全面では、雨天時は運転者からの視認性が大きく下がるため、明るい色の雨具を選ぶこと、増水した側溝・用水路に近づかないことの2点が重要です。特に用水路の事故は雨天時・雨上がりに集中します。「探検してよいのは浅くて流れのない水だけ」という線引きを、出かける前に親子で確認しておくと安心です。