6年
社会
縄文・弥生・古墳時代
縄文・弥生・古墳時代 ── 米づくりが、社会を変えた
日本の歴史が始まります。食べ方が変われば、社会も変わるのです。
縄文時代のくらし
約1万年以上前から、日本には人が住んでいました。
縄文時代
約1万5000年前〜約2400年前
食べ物の得方
・狩り(シカ、イノシシ)
・漁(魚、貝)
・採集(木の実、山菜)
→ 自然にあるものを取る
(狩猟・採集)
この時代の特徴を見ていきましょう。
| もの | 特徴 |
| 縄文土器 | 厚手、黒っぽい、縄の模様 |
| たて穴住居 | 地面を掘り、屋根をかけた家 |
| 貝塚 | 食べたあとの貝がらを捨てた場所 |
| 土偶 | 土の人形。祈りに使われたか |
| 石器 | 矢じり、石おのなど |
土器の発明は、大きな変化をもたらしました。
土器があると
・煮炊きができる
→ 食べられるものが増える
→ 消化しやすくなる
・保存できる
→ 木の実などをためられる
→ 生活が安定した
そして、貝塚は当時を知る貴重な手がかりです。
貝塚から分かること
・何を食べていたか
・どんな道具を使っていたか
・どんな動物がいたか
・当時の海岸線の位置
→ 「ごみ捨て場」が
最高の資料になる
縄文時代の社会は、比較的平等だったと考えられています。
なぜ平等だったか
食べ物をためられない
↓
取ったらすぐ食べる
↓
貧富の差ができにくい
↓
身分の差も小さい
三内丸山遺跡(青森県)など、大きな集落もありました。1500年以上続いた集落もあります。
弥生時代の大転換
約2400年前、大陸から稲作が伝わりました。
弥生時代
約2400年前〜3世紀ごろ
伝わったもの
・稲作
・金属器(青銅器、鉄器)
・織物の技術
・新しい土器(弥生土器)
稲作が、社会を根本から変えました。
稲作がもたらした変化
米は保存できる
↓
たくわえられる
↓
たくさん持つ人と
少ししか持たない人が出る
↓
貧富の差が生まれる
↓
身分の差になる
「ためられる」ことが、格差を生んだのです。
さらに、争いも起こるようになりました。
争いが起きた理由
・水田に適した土地の取り合い
・水の取り合い
・たくわえた米の奪い合い
→ むらどうしの戦い
その証拠が、遺跡から見つかっています。
争いの証拠
・環濠集落(まわりに堀を掘った村)
・高い場所に作られた集落
・矢じりが刺さった人骨
・首のない人骨
・武器としての石器・金属器
→ 縄文時代にはほとんどなかった
吉野ヶ里遺跡(佐賀県)は、大規模な環濠集落として有名です。物見やぐらもあり、警戒していたことが分かります。
縄文と弥生を比べる
2つの時代を並べると、変化がはっきりします。
| 縄文時代 | 弥生時代 |
| 食べ物の得方 | 狩り・漁・採集 | 稲作が中心 |
| 保存 | 難しい | 米はためられる |
| 土器 | 厚手・黒っぽい・複雑な模様 | 薄手・赤っぽい・簡素 |
| 道具 | 石器・骨角器 | 石器+金属器 |
| 住居 | たて穴住居 | たて穴住居+高床倉庫 |
| 身分 | 差が小さい | 差が生まれる |
| 争い | 少ない | むらどうしの争い |
高床倉庫は、米を保存するための建物です。
高床倉庫の工夫
・床を高くする
→ 湿気を防ぐ
→ 水害から守る
・ねずみ返し
→ ねずみが登れない板
→ 米を守るための工夫
土器のちがいにも理由があります。
なぜ弥生土器は薄いか
縄文土器 … 煮炊きが中心
厚くて丈夫
弥生土器 … 米の保存・調理
用途が分かれ
薄く軽く作られた
→ 生活の変化が
道具の形を変えた
むらからくにへ
争いを通じて、強いむらが弱いむらを従えるようになりました。
くにができるまで
むら(集落)
↓ 争い・統合
いくつかのむらをまとめる
↓
くに(小国家)
↓ さらに統合
より大きな くに
この時代のことは、中国の歴史書に記録されています。
中国の歴史書に見える日本
『漢書』地理志(紀元前1世紀ごろ)
倭は100余りの国に分かれている
『後漢書』東夷伝(1世紀)
奴国の王が漢に使いを送り
金印を授かった
→ 実際に志賀島で金印が発見
『魏志』倭人伝(3世紀)
邪馬台国と卑弥呼のこと
卑弥呼は、30ほどの国をまとめた女王とされています。
卑弥呼について
・邪馬台国の女王
・占いやまじないで政治を行った
・魏に使いを送り
「親魏倭王」の称号と
銅鏡100枚を授かった
→ 中国との関係を利用して
権威を高めた
ただし、邪馬台国がどこにあったかは今も分かっていません。
邪馬台国論争
【九州説】
記述の距離・方角が合う
【近畿説】
大和政権につながる
遺跡の規模が大きい
→ 決着していない
→ 新しい発見が待たれる
歴史には、まだ分かっていないことがあるのです。これも大切な学びです。
古墳時代
3世紀後半から、巨大な墓が作られるようになります。
古墳
権力者の墓
形の種類
・前方後円墳(鍵穴の形)
・円墳
・方墳
→ 前方後円墳が最も格が高い
最大のものは、大仙古墳(大阪府堺市、仁徳天皇陵とされる)です。
大仙古墳の規模
全長 約486m
高さ 約35m
周囲に三重の堀
作るのに
のべ約680万人
約15年かかったと推定
→ 世界最大級の墓
なぜ、これほど巨大な墓を作ったのでしょうか。
巨大古墳の意味
・権力の大きさを示す
・多くの人を動員できる力の証明
・支配する範囲を示す
→ 見せるための建造物
古墳には、はにわが置かれました。
はにわ
素焼きの土製品
種類
・円筒はにわ(筒の形)
・人物はにわ(兵士、巫女など)
・動物はにわ(馬、鳥など)
・家形はにわ
→ 当時の服装や道具が分かる
貴重な資料
そして、古墳の分布から大和政権の広がりが分かります。
大和政権
奈良盆地を中心に
力を持った勢力
↓
前方後円墳が
各地に広がる
↓
5世紀ごろには
九州から東北南部まで
影響がおよぶ
→ 日本の統一が進んだ
この時代、大陸から渡来人が多くやってきました。
渡来人が伝えたもの
・漢字
・仏教(6世紀)
・すぐれた土器(須恵器)
・機織り、金属加工の技術
・土木技術(ため池、堤防)
・儒教
→ 日本の文化に
大きな影響を与えた
歴史の調べ方
文字の記録がない時代を、どうやって調べるのでしょうか。
手がかり
・遺跡(住居あと、集落あと)
・遺物(土器、石器、金属器)
・人骨、動物の骨
・植物の種、花粉
・貝塚
・古墳とその副葬品
そして、年代を測る技術もあります。
年代測定
放射性炭素年代測定
→ 有機物の年代が分かる
年輪年代法
→ 木材の年代が分かる
→ だんだん精度が上がっている
→ 教科書の年代も変わることがある
実際、縄文時代の始まりは、研究が進んで年代がさかのぼりました。
歴史は書き換わる
新しい遺跡が見つかる
↓
新しい技術で調べる
↓
これまでの説が変わる
→ 歴史は「確定した過去」ではなく
「更新され続ける知識」
この視点は重要です。教科書に書いてあることも、変わりうるのです。
つまずきやすいところ
その1 時代の順番が分からない
縄文と弥生を逆に覚える。
縄文 → 弥生 → 古墳の順です。「じょう・や・こ」と覚える方法もあります。
その2 稲作の影響が分からない
単に食べ物が変わっただけと考える。
米はためられるので、貧富の差と身分が生まれました。社会構造の大転換です。
その3 邪馬台国の場所が答えられる問題だと思う
正解があると考える。
まだ分かっていません。九州説と近畿説があり、決着していません。
やってみよう
Q1 縄文時代と弥生時代の最大のちがいは?
A 稲作です。米がためられるようになり、貧富の差と身分が生まれました。
Q2 高床倉庫の工夫を2つ言いましょう。
A 床を高くして湿気を防ぐこととねずみ返しです。米を守る工夫です。
Q3 巨大な古墳が作られた理由は?
A 権力の大きさを示すためです。多くの人を動かせる力の証明でもありました。
Q4 近くの博物館や遺跡を調べてみましょう。
A 日本各地に遺跡があります。実物を見ると、当時の暮らしが実感できます。
まとめ
- 縄文時代は狩り・漁・採集。身分の差が小さい。
- 弥生時代に稲作が伝わり、社会が変わった。
- 米がためられることで貧富の差と争いが生まれた。
- むらが統合されてくにになった。
- 古墳は権力を示すための巨大な墓。
おうちの方へ
歴史学習の出発点です。年号や名称の暗記ではなく、「なぜ変わったか」を考えることが大切です。
とくに「稲作が社会を変えた」という因果関係は、歴史の見方を教えてくれます。食べ方が変われば社会も変わる。この視点は、他の時代を学ぶときにも役立ちます。
博物館や遺跡の見学は、強い印象を残します。土器や石器の実物を見ると、教科書の写真とはちがう実感が得られます。
「歴史は書き換わる」という点も伝えておきたい内容です。新しい発見で説が変わることがあり、それが研究の面白さでもあります。
邪馬台国論争のような未解決の問題があることも、興味を引く話題です。