6年 国語 文体

文体をそろえる ── です・ます と だ・である、まぜてはいけない理由

作文が返ってきて、赤ペンで文の終わりだけに線が引かれていたことはありませんか。中身は直されていないのに、末尾だけ指摘される。あれが文体の問題です。

文体とは、文の終わり方のきまり

日本語の文章には、大きく分けて二つの終わり方があります。

A 今日は雨がふりました。 かさを持っていきました。 すこし寒かったです。 B 今日は雨がふった。 かさを持っていった。 すこし寒かった。

Aのように「です」「ます」で終わる書き方を敬体といいます。Bのように言い切る書き方を常体といいます。

AとBは、伝えている中身がまったく同じです。ちがうのは、読む人とのきょりだけです。

敬体は、読む人に向かって話しかけるような感じになります。常体は、事がらだけをぽんと置く感じになります。手紙とメモのちがいだと思えばよいでしょう。

敬体 = 読む人がいる感じ ていねい・やわらかい 常体 = 事がらだけを置く感じ きびきび・言い切る

二つを比べる

それぞれの特ちょうを整理します。

敬体常体
文末です・ます・でしただ・である・た
感じていねい・やさしいきびきび・強い
字数多くなる少なくてすむ
使う場面手紙・スピーチ原こう・案内文記録・報告・新聞記事

ここで大事なのは、どちらがえらいわけでもないということです。ていねいだから敬体のほうが上、とは決まっていません。

新聞記事を思い出してください。「昨日、市内で火事がありました」とは書いてありません。「昨日、市内で火事があった」と書いてあります。だからといって新聞が失礼なわけではありません。事実を短く正確に伝えたいから、常体を選んでいるのです。

つまり文体は、相手と目的で選ぶ道具です。

どちらを選ぶか

迷ったときは、次の順で考えます。

① 読む人は決まっているか → 決まっている(先生・友だち・ 地いきの方)なら 敬体 ② 目的は何か → 伝える・お願いする → 敬体 → 記録する・調べたことを まとめる → 常体 ③ 学校の指定はあるか → あればそれが最ゆう先

作文やスピーチ原こうのように、読む人・聞く人がはっきりしているものは敬体が向いています。

いっぽう、理科の観察記録や社会の調べ学習のレポートは常体が向いています。「アサガオのつるが右まきにのびていました」より「アサガオのつるが右まきにのびた」のほうが、記録として読みやすいからです。

そして三番目がいちばん強い決まりです。先生が「常体で書きなさい」と言ったなら、内容に合っていようがいまいが常体にします。指定は約束ごとだからです。

まざるとどうなるか

いちばん多いまちがいが、一つの文章の中で二つがまざることです。

× わたしは図書室へ行った。 そこで新しい本を見つけました。 さっそく借りて読んだ。 とてもおもしろかったです。

読んでみて、なんとなく落ち着かない感じがしたでしょうか。その感じが正解です。

なぜ落ち着かないのか。読む人の頭の中で、書き手とのきょりが行ったり来たりするからです。話しかけられたと思ったら急に突き放され、また話しかけられる。中身は同じなのに、読む人はそのたびに姿勢を組みかえることになります。

これは、服そうにたとえると分かりやすいかもしれません。

上は制服 下はパジャマ → どちらも服として まちがってはいない → でも「どっちの場面?」と 相手が迷う

文体のまざりも同じです。一つ一つの文にまちがいはありません。ならべたときに、場面が定まらなくなるのです。

採点する先生が末尾に線を引くのは、意地悪をしているのではありません。読む人が迷った場所に印をつけているだけなのです。

直し方 ── 文末だけを縦に読む

まざりを見つけるコツがあります。中身を読まないことです。

…行った。 …見つけました。 …読んだ。 …おもしろかったです。 文末だけを上から縦に読む ↓ 「た・ました・た・です」 ↓ そろっていない と一目で分かる

意味を追いながら読むと、頭がそちらへ持っていかれて、末尾に注意が向きません。指で文末だけをたどるようにして、上から順に声に出してみてください。そろっていないところは、耳が先に気づきます。

見つけたら、多いほうにそろえます。さきほどの例は二対二で同数ですが、日記なので常体でそろえるのが自然でしょう。

○ わたしは図書室へ行った。 そこで新しい本を見つけた。 さっそく借りて読んだ。 とてもおもしろかった。

直したあと、もう一度文末だけを縦に読みます。「た・た・た・た」。そろいました。

つまずきやすいところ

そろえようとするときに、よく起きる引っかかりが三つあります。

一つめは、「〜ました」を消すと乱暴に感じるという悩みです。常体に直すと自分の文章がぶっきらぼうになった気がして、こわくなる人がいます。これは慣れの問題です。教科書の説明文をひらいてみると、その多くが常体で書かれています。乱暴だと感じないのは、そういうものだと知っているからです。

二つめは、会話文の中まで直してしまうまちがいです。

正しい例(常体の文章の中) 弟が「ぼくも行きたいです」 と言った。 → カギかっこの中は しゃべった人の言葉 → そろえる対象では ない

カギかっこの中は、その人が実際に口にした言葉です。書き手の書き方とは関係がありません。ここまで直してしまうと、話した内容そのものが変わってしまいます。

三つめは、引用した文を直してしまうまちがいです。本や資料から写した部分も、会話文と同じ理由でそのままにします。もとの文をかってに書きかえたら、それは引用ではなくなります。

そろえるもの 地の文(自分が書いた説明) そろえないもの 会話文(カギかっこの中) 引用文(資料から写した部分)

常体には、二つの言い切り方がある

常体をくわしく見ると、「だ」と「である」の二種類があります。

これは日本の伝統的な祭りだ。 これは日本の伝統的な祭りである。

「だ」は話し言葉に近く、「である」は書き言葉らしい重さがあります。研究レポートや意見文では「である」を使うと落ち着きます。日記や物語ふうの文章では「だ」のほうが自然です。

ただし、この二つも同じ文章の中ではそろえるのが原則です。ぐらつくと、やはり読む人が迷います。

なお、常体の文のすべてが「だ」「である」で終わるわけではありません。「〜た」「〜する」「〜ない」など、ふつうに言い切る形はすべて常体です。「である」を無理にたくさんつけると、かえって重たくなります。

中学からの話

中学に上がると、選ぶ場面が一気に増えます。理科・社会のレポートは常体、生徒会の連らく文や案内文は敬体、というふうに、同じ日に両方を書く日が出てきます。

さらに高校入試の作文では、まざりが減点の対象としてはっきり書かれていることがあります。中身がよくても、そこで点を落とすのはもったいない話です。

逆に言えば、文末をそろえるだけで守れる点があるということでもあります。書く力そのものをのばすより先に、今日から実行できます。

まとめ

おうちの方へ

末尾のまざりは、書く力が足りないから起きるのではありません。むしろ、書いている途中で頭の中の相手が入れかわるほど、一生けんめい考えている証拠です。ですから「またまざってる」と中身ごと否定する言い方は避けていただけると助かります。
おすすめは、作文を見るときにいちばん最後の一行だけを見る習慣です。そろえる作業は良し悪しの評価と切りはなせるので、親子どちらにとっても気が楽です。「末尾だけ、上から読んでみて」と声をかければ、たいていは自分で気づきます。
読書のときにも使えます。物語は常体で書かれていることが多く、図かんの解説や手紙の例文は敬体で書かれています。「この本はどっちで書いてある?」と聞くだけで、選ばれているものだという感覚が育ちます。
中学以降のレポート・志望理由書・入試作文まで、この一点はずっと問われつづけます。今のうちに癖にしておくと、後の負担が確実に減ります。