作文が返ってきて、赤ペンで文の終わりだけに線が引かれていたことはありませんか。中身は直されていないのに、末尾だけ指摘される。あれが文体の問題です。
日本語の文章には、大きく分けて二つの終わり方があります。
Aのように「です」「ます」で終わる書き方を敬体といいます。Bのように言い切る書き方を常体といいます。
AとBは、伝えている中身がまったく同じです。ちがうのは、読む人とのきょりだけです。
敬体は、読む人に向かって話しかけるような感じになります。常体は、事がらだけをぽんと置く感じになります。手紙とメモのちがいだと思えばよいでしょう。
それぞれの特ちょうを整理します。
| 敬体 | 常体 | |
|---|---|---|
| 文末 | です・ます・でした | だ・である・た |
| 感じ | ていねい・やさしい | きびきび・強い |
| 字数 | 多くなる | 少なくてすむ |
| 使う場面 | 手紙・スピーチ原こう・案内文 | 記録・報告・新聞記事 |
ここで大事なのは、どちらがえらいわけでもないということです。ていねいだから敬体のほうが上、とは決まっていません。
新聞記事を思い出してください。「昨日、市内で火事がありました」とは書いてありません。「昨日、市内で火事があった」と書いてあります。だからといって新聞が失礼なわけではありません。事実を短く正確に伝えたいから、常体を選んでいるのです。
つまり文体は、相手と目的で選ぶ道具です。
迷ったときは、次の順で考えます。
作文やスピーチ原こうのように、読む人・聞く人がはっきりしているものは敬体が向いています。
いっぽう、理科の観察記録や社会の調べ学習のレポートは常体が向いています。「アサガオのつるが右まきにのびていました」より「アサガオのつるが右まきにのびた」のほうが、記録として読みやすいからです。
そして三番目がいちばん強い決まりです。先生が「常体で書きなさい」と言ったなら、内容に合っていようがいまいが常体にします。指定は約束ごとだからです。
いちばん多いまちがいが、一つの文章の中で二つがまざることです。
読んでみて、なんとなく落ち着かない感じがしたでしょうか。その感じが正解です。
なぜ落ち着かないのか。読む人の頭の中で、書き手とのきょりが行ったり来たりするからです。話しかけられたと思ったら急に突き放され、また話しかけられる。中身は同じなのに、読む人はそのたびに姿勢を組みかえることになります。
これは、服そうにたとえると分かりやすいかもしれません。
文体のまざりも同じです。一つ一つの文にまちがいはありません。ならべたときに、場面が定まらなくなるのです。
採点する先生が末尾に線を引くのは、意地悪をしているのではありません。読む人が迷った場所に印をつけているだけなのです。
まざりを見つけるコツがあります。中身を読まないことです。
意味を追いながら読むと、頭がそちらへ持っていかれて、末尾に注意が向きません。指で文末だけをたどるようにして、上から順に声に出してみてください。そろっていないところは、耳が先に気づきます。
見つけたら、多いほうにそろえます。さきほどの例は二対二で同数ですが、日記なので常体でそろえるのが自然でしょう。
直したあと、もう一度文末だけを縦に読みます。「た・た・た・た」。そろいました。
そろえようとするときに、よく起きる引っかかりが三つあります。
一つめは、「〜ました」を消すと乱暴に感じるという悩みです。常体に直すと自分の文章がぶっきらぼうになった気がして、こわくなる人がいます。これは慣れの問題です。教科書の説明文をひらいてみると、その多くが常体で書かれています。乱暴だと感じないのは、そういうものだと知っているからです。
二つめは、会話文の中まで直してしまうまちがいです。
カギかっこの中は、その人が実際に口にした言葉です。書き手の書き方とは関係がありません。ここまで直してしまうと、話した内容そのものが変わってしまいます。
三つめは、引用した文を直してしまうまちがいです。本や資料から写した部分も、会話文と同じ理由でそのままにします。もとの文をかってに書きかえたら、それは引用ではなくなります。
常体をくわしく見ると、「だ」と「である」の二種類があります。
「だ」は話し言葉に近く、「である」は書き言葉らしい重さがあります。研究レポートや意見文では「である」を使うと落ち着きます。日記や物語ふうの文章では「だ」のほうが自然です。
ただし、この二つも同じ文章の中ではそろえるのが原則です。ぐらつくと、やはり読む人が迷います。
なお、常体の文のすべてが「だ」「である」で終わるわけではありません。「〜た」「〜する」「〜ない」など、ふつうに言い切る形はすべて常体です。「である」を無理にたくさんつけると、かえって重たくなります。
中学に上がると、選ぶ場面が一気に増えます。理科・社会のレポートは常体、生徒会の連らく文や案内文は敬体、というふうに、同じ日に両方を書く日が出てきます。
さらに高校入試の作文では、まざりが減点の対象としてはっきり書かれていることがあります。中身がよくても、そこで点を落とすのはもったいない話です。
逆に言えば、文末をそろえるだけで守れる点があるということでもあります。書く力そのものをのばすより先に、今日から実行できます。
末尾のまざりは、書く力が足りないから起きるのではありません。むしろ、書いている途中で頭の中の相手が入れかわるほど、一生けんめい考えている証拠です。ですから「またまざってる」と中身ごと否定する言い方は避けていただけると助かります。
おすすめは、作文を見るときにいちばん最後の一行だけを見る習慣です。そろえる作業は良し悪しの評価と切りはなせるので、親子どちらにとっても気が楽です。「末尾だけ、上から読んでみて」と声をかければ、たいていは自分で気づきます。
読書のときにも使えます。物語は常体で書かれていることが多く、図かんの解説や手紙の例文は敬体で書かれています。「この本はどっちで書いてある?」と聞くだけで、選ばれているものだという感覚が育ちます。
中学以降のレポート・志望理由書・入試作文まで、この一点はずっと問われつづけます。今のうちに癖にしておくと、後の負担が確実に減ります。