ぞうは鼻が長い ── 「は」は主語の印ではない

この単元について

日本語を外国語として勉強する人が、最後までいちばん苦労すると言われているのが、「は」と「が」の使い分けです。ところがこの国で育ったあなたは、この二つを毎日ほとんどノーミスで使い分けています。「ぼくが行くよ」と言うべき場面で「ぼくは行くよ」と言ってしまって笑われた、という経験は、まずないはずです。

では、「『は』と『が』はどうちがうの?」と聞かれたら、説明できるでしょうか。体は完全に知っているのに、頭では説明できない。6年生の言葉のきまりの仕上げとして、この記事では、あなたがすでに持っている使い分けの腕前に、しくみの説明を追いつかせます。

一字ちがいで、答えになったりならなかったりする

教室の窓が割れていて、先生が入ってきたとします。先生の質問に対して、「が」と「は」のどちらで答えるのが自然か、くらべてみましょう。

先生の質問ちょうどいい答え印のはたらき
「だれが割ったの?」ぼくが割りました「が」は、直前の「だれ」にスポットライトを当てる
「割れたとき、何をしてたの?」ぼくは外にいました「は」は、「ぼくについて言うと」と話題をかかげる

「だれが割ったの?」に「ぼくは割りました」と答えると、少しずれた感じがします。まるで「ほかの人のことは知りませんが、ぼくについて言えば割りました」と、報告書を読み上げているような響きになる。逆に「何をしてたの?」に「ぼくが外にいました」と答えるのも、妙に力んで聞こえます。

ここから、二つの印の仕事のちがいが見えてきます。「が」は、直前の言葉を「これです!」と選び出す印。質問の「だれが」に対する答えそのものを指し示します。「は」は、「ここから先は、この人についての話です」と話題の看板をかかげる印。大事な中身は、看板のうしろに続く部分のほうにあります。

昔話は、かならず「が」で始まる

この使い分けを、あなたは物語の中で何百回も見てきています。桃太郎の書き出しを思い出してください。

「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくに行きました。」

最初の一文は「が」、二文目からは「は」。これは偶然ではありません。初めて登場する人には「が」、一度出てきて読者がもう知っている人には「は」という、日本語の物語すべてに共通するきまりです。「が」は新入りを紹介する印、「は」は「さっきの、あの人ですよ」という印なのです。

ためしに入れかえてみると、こわれ方がよく分かります。「むかしむかし、あるところに、おじいさんは住んでいました」──読んだ瞬間、「え、どのおじいさん?」とつまずくはずです。「は」は「もう知っている人」の印なので、まだ紹介されていない人に付けると、読者は知らない人を「ほら、あの人」と指さされたような気持ちになります。本だなから好きな物語を一冊取り出して、書き出しを確かめてみてください。ほぼ例外なく、主人公は「が」で登場しています。

英語にも、同じしくみがある

「は」と「が」は日本語だけの特別な道具に見えますが、じつは英語も、まったく同じ仕事を別の道具でやっています。それが a と the です。

場面日本語英語はたらき
初登場おじいさんが住んでいましたAn old man lived in a village.新入りの紹介
二回目からおじいさんは山へ行きましたThe old man went to the mountain.「あの、さっきの人」の印

初めて出てくる人やものには a、一度出てもう分かっているものには the。「初登場の印」と「もう知っているものの印」を区別したいという気持ちは、日本語と英語で共通なのです。ちがうのは道具の置き場所だけ。日本語は言葉のうしろに「が・は」を付け、英語は言葉の前に a・the を置きます。英語の冠詞の記事とあわせて読むと、二つの言語が同じ問題を別のやり方で解いているのが見えてきます。

ぞうは鼻が長い ── では、主語はどれ?

ここで、この記事の題名の文を調べます。「ぞうは鼻が長い」。短い文なのに、「は」と「が」が一つずつ入っています。では質問です。この文の主語はどれでしょう。

述語から考えるのが、2年生の主語・述語の勉強以来の手順でした。述語は「長い」。長いのは何かといえば、ぞう全体ではなく「鼻」です。つまり「長い」に対する主語は「鼻が」。では「ぞうは」は何なのか。これは「ここから先は、ぞうについての話です」という話題の看板であって、「長い」の主語ではありません。

「は」を主語の印だと思いこんでいると、この文で行きづまります。でも「は」の正体が話題の看板だと分かれば、なぞは消えます。証拠に、「は」は主語の席以外にも、平気で付くことができます。

もとの文「は」をかかげた文「は」が付いた席
この本をもう読んだこの本はもう読んだ「を」の席(本が読むのではない)
公園にベンチがある公園に はベンチがある「に」の席
きょう、暑いきょうは暑い時間の言葉(きょうが暑がっているのではない)

「この本はもう読んだ」で、本が何かを読んだわけではありません。読んだのは自分で、本は読まれた側。つまりこの「は」は、「を」の席の言葉を話題に持ち上げています。「は」は主語専用の印ではなく、どの席の言葉でも話題の位置にかかげられる、一段上の印なのです。

「は」の照明は遠くまで届く

もう一つ、二つの印には届く距離のちがいがあります。次の文で、「ぼくは」がどこまでかかっているかを見てください。

「ぼくは、雨がふってきたので、走って家に帰った。」

「雨が」の「が」は、すぐとなりの「ふってきた」までで仕事を終えます。ふってきたのは雨であって、ぼくではないからです。ところが「ぼくは」は、とちゅうの「雨がふってきたので」を飛びこえて、文の最後の「帰った」まで届いています。帰ったのはぼくです。「が」の光は近くだけを照らし、「は」の照明は文の終わりまで届く。文が長くなっても、話題の看板は立ちっぱなしなのです。

この性質は、長い文を読むときの武器になります。文のとちゅうで迷子になったら、いちばん近くの「が」ではなく、文の頭の「は」までもどる。そうすれば、この文が結局だれについての話だったのかを見失いません。

まちがえやすいところ

1. 「どちらが正しいか」の問題ではない

「桜がさいた」と「桜はさいた」は、どちらも正しい文です。ちがうのは伝えたいこと。「桜がさいた」は、さいたものとして桜を選び出す言い方(ニュースの第一報)。「桜はさいた」は、桜を話題にして様子を報告する言い方で、「桜はさいたけれど、桃はまだ」のように、ほかとくらべる含みがしのびこむことがあります。「きのうは楽しかった」と言うと「きょうはどうなの?」と聞き返したくなるのも、この含みのせいです。

2. 作文の全部の文に「ぼくは」を置いてしまう

「ぼくは朝起きました。ぼくは朝ごはんを食べました。ぼくは学校に行きました。」──話題の看板は、一度かかげたら立ち続けるのでした。だから二文目からの「ぼくは」は、同じ看板をわざわざかけ直しているのと同じで、くどくなります。話題が変わらないかぎり、「は」は書かなくていい。推敲のとき、二回目以降の「ぼくは」を消してみると、文章は一気に大人びます。

3. 1年生の「くっつきの『は』」とのつながり

「こんにちは」の「は」を「わ」と書かないように習ったのが、1年生の「くっつきの『は』」でした。あのとき特別あつかいして書き方だけ覚えた「は」の正体が、今日勉強した話題の看板です。「こんにちは」は、もともと「今日(こんにち)は、ごきげんいかがですか」──つまり「きょうは」と話題をかかげたまま、続きを言わずに止めたあいさつなのです。

まとめ

「は」と「が」の使い分けは、あなたが日本語といっしょに育つ中で、いつのまにか手に入れていた技術です。この記事がしたのは、新しいことを教えることではなく、もう持っている技術に名前と理由を付けること。自分が毎日していることを説明できるようになったとき、言葉のきまりの勉強は仕上がります。