6年 国語 文末表現

文末表現 ── 「だ」「だろう」「そうだ」は、どこまで責任を持つかがちがう

作文を書いていて、文の終わりをどう結ぶかで手が止まったことはありませんか。「〜だ」と言い切ってしまってよいのか、「〜だろう」とやわらげたほうがよいのか。じつはこの数文字は、書き手の好みやかざりではありません。自分がいま言っていることを、どこまで引き受けるつもりなのかを読み手に知らせている場所です。同じ出来事を書いていても、結び方がちがえば伝わる中身が変わってしまいます。日本語では、この引き受け方のちがいを文の終わりが一手に引き受けています。読むときにも書くときにも効く、文末表現のしくみを見ていきましょう。

同じ出来事なのに、四通りに書ける

校庭に明日から工事が入る、という話を聞いたとします。これを文にすると、少なくとも四通りの書き方ができます。

① 明日から校庭の工事が始まる。 ② 明日から校庭の工事が始まるだろう。 ③ 明日から校庭の工事が始まるそうだ。 ④ 明日から校庭の工事が始まるらしい。

「明日/校庭/工事/始まる」の部分はどれも同じです。ちがうのは最後の数文字だけ。それなのに、読んだときの手ごたえはまるでちがいます。①を読んだ人は工事があるものとして予定を立てますが、③を読んだ人は「本当かな、だれに聞いたんだろう」と少し身構えます。

つまり、文の意味は出来事の部分と、その出来事をどう引き受けるかの部分の二階建てになっているということです。一階が「工事が始まる」、二階が「だ/だろう/そうだ/らしい」。日本語はこの二階を、いつでも文のいちばん後ろに置きます。だから日本語の文は、最後まで聞かないと本当のところが分からないのです。

三つの型 ── 断定・推量・伝聞

文の結び方は数えきれないほどありますが、まず大きく三つの型に分けると見通しがよくなります。

断定  〜だ / 〜である / 〜です     → そうだと言い切る 推量  〜だろう / 〜かもしれない / 〜と思う → 自分の頭で見当をつけた 伝聞  〜そうだ / 〜という / 〜とのことだ  → よそから聞いた話

この三つは、たしかさの度合いがちがうだけの仲間のように見えますが、それだけではありません。よく見ると「その話をどこから手に入れたか」がちがうのです。断定は、自分が見た・調べた・確かめた。推量は、手もとの材料から自分で考えた。伝聞は、他人から受け取っただけで自分では確かめていない。

だから伝聞の文には、責任の所在がはっきり書かれていません。「工事が始まるそうだ」と書いた人は、もし工事がなかったとしても「自分はそう聞いただけだ」と言えてしまいます。これはずるいというより、確かめていないことを確かめたように書かないための、正直な道具です。困るのは、確かめていないのに①の形で書いてしまうときのほうです。

ここに推量がはさまる位置も見ておきましょう。推量は伝聞とちがって、材料が自分の手の中にあります。「空が暗いから、雨が降るだろう」と言う人は、空を自分で見ています。見た事実から一歩ふみ出したぶんだけ言い切りをゆるめた、というのが推量の正体です。

「そうだ」には二つの顔がある

ここでひとつ、テストによく出るやっかいな形を片づけておきます。同じ「そうだ」でも、意味が二つあるのです。

雨が 降る そうだ  → 伝聞(聞いた話)   ふつうの言い切りの形につく 雨が 降り そうだ  → 様態(見た感じ)   「ます」を取った形につく

「降るそうだ」は天気予報で聞いた話、「降りそうだ」は空を見上げた感想です。意味は正反対に近いのに、字づらは一字しかちがいません。見分けるこつは、「そうだ」の前がふつうの言い切りの形かどうかを見ることです。「降る」は言い切りの形なので伝聞、「降り」は「降ります」から「ます」を取った形なので様態になります。

形容詞で確かめるともっとはっきりします。「おいしいそうだ」は人から聞いた話、「おいしそうだ」は自分の目で見て思ったこと。あとのほうは「い」が消えているのが目じるしです。この一字は、情報が外から来たのか、自分の感覚から来たのかという大きなちがいを背負っています。

論説文では、結びが主張のありかを教える

ここからは読むときの話です。論説文を読んで「筆者の主張はどれか」と聞かれたとき、内容を読んで探そうとすると時間がかかります。もっと速い方法があります。文の終わりだけを拾って読むのです。

…という調査結果が出ている。      → 事実の提示 …と考えている人も多いようだ。     → 他人の意見の紹介 …ではないだろうか。          → 問いかけの形をした主張 …すべきである。            → 主張(いちばん強い)

説明文や論説文の書き手は、事実を並べる部分を「〜である」「〜ている」のような静かな形で書き、自分の考えを出すところだけ「〜べきだ」「〜ではないだろうか」「〜と考える」に切りかえます。書き手がわざわざ切りかえているのですから、結び方が変化した場所が、そのまま主張の場所になります。

とくに気をつけたいのが「〜ではないだろうか」です。形は問いかけですが、中身は言い切りです。読み手に考えさせるふりをしながら、いちばん言いたいことを置いている場所なので、疑問文だからと読み飛ばすともったいないことになります。

逆に、「〜と言われている」「〜とされる」ばかりで進む文章には注意が必要です。だれが言ったのかを書かないまま話を進められるからです。読み手としては、そこでだれがそう言っているのかを書き手にたずねる気持ちを持てるとよいでしょう。これは、うのみにせずに読むということの、いちばん具体的なやり方のひとつです。

書くときは、事実と意見を結び方で分ける

今度は自分が書く側に回ります。調べたことをまとめる文章や、提案する文章では、「これは調べて分かったこと」と「これはわたしの考え」が混ざっていると、読む人が判断できません。分ける道具は、やはり文の終わりです。

△ 図書室の利用者は減っていて、もっと本を置くべきだ。 ◯ 図書室の利用者は三年間で四割減っている。原因のひとつは本の数だと考える。

下の書き方は、一文目を「〜ている」で事実として置き、二文目を「〜と考える」で意見として置いています。こうしておくと、読んだ人は事実の部分だけを取り出して自分で確かめることができます。まちがえられる形で書いておくことが、信用される書き方なのです。

理科のノートで結果と考察を分けて書くのも、まったく同じ考え方です。「水は百度でふっとうした」は見たこと、「熱し方を強くしても温度は上がらないと考えられる」は結果から導いたこと。この二つを同じ結び方でつなげてしまうと、実験していないことまで実験したように見えてしまいます。

ただし、ぼかせばていねいというわけではありません。「〜かもしれない」「〜と思われる」を全部の文につけると、書き手が何も引き受けていない文章になり、かえって読みにくくなります。確かめたことは言い切り、確かめていないことだけをゆるめる。この使い分けができていれば、言い切った部分の強さが生きてきます。

つまずきやすいところ

その1 「そうだ」の二つを取りちがえる
「元気だそうだ」と「元気そうだ」を同じ意味で読んでしまう例です。前が言い切りの形なら伝聞、そうでなければ様態、と形で判定します。意味から当てにいくと迷います。

その2 「〜ではないだろうか」を疑問だと思う
問いの形をしているので答えを探しにいってしまい、そこが主張だと気づかない例です。筆者が自分に問いかけているときは、たいてい答えをすでに持っています。

その3 自信のなさから全部をぼかす
意見文で「〜と思います」を何度も重ねてしまう例です。理由を書いた直後の一文だけは言い切ると、文章全体がしまります。ぼかす場所は選ぶものです。

その4 聞いた話を自分で見たように書く
「〜そうだ」を省いて「〜だ」で書いてしまう例です。うそをつくつもりがなくても、読み手には確かめたことに見えます。どこで知ったかを思い出してから結ぶようにします。

やってみよう

Q1 「兄は来年から中学生だそうだ」は、断定・推量・伝聞のどれでしょう。

A 伝聞。「だ」という言い切りの形に「そうだ」がついているので、だれかから聞いた話だと分かります。

Q2 「この本はおもしろそうだ」と「この本はおもしろいそうだ」。読んだ人はどちらでしょう。

A どちらも読んでいません。前は表紙などを見た自分の感じ、後ろは人から聞いた話です。読んだ人なら「おもしろかった」と言い切れます。

Q3 次の文の中で、筆者の主張はどれでしょう。ア 調査では六割が賛成した イ 反対の声もあるという ウ もう一度話し合うべきではないだろうか

A ウ。アは事実、イは伝聞での紹介、ウだけが書き手が引き受けている形です。問いかけの形でも主張になります。

Q4 「校庭の水たまりは、昨日の雨でできたらしい」を、自分で確かめた人の文に書きかえましょう。

A 昨日の雨でできた。のように言い切ります。「らしい」を外すと責任の重さが変わるので、外してよいのは見た人だけです。

まとめ

おうちの方へ

文の終わり方の指導というと、作文で「です・ます」をそろえる話だと思われがちですが、6年生で本当に効いてくるのはそちらではありません。自分が確かめたことと、人から聞いたことを、書き分けられるかどうかです。これは国語の点数の話にとどまらず、情報の受け取り方そのものにつながります。ネット上の文章は「〜らしい」「〜と言われている」で書かれたものが、読むうちに「〜だ」に変わって伝わっていきます。その段差に気づける子は、根拠をたずねる習慣を持てます。ご家庭で試すなら、テレビのニュースを一緒に見て「今の人、見たって言った? 聞いたって言った?」と一度たずねてみてください。取材した記者は言い切り、まだ分からないことは「〜とみられます」と結んでいるはずです。ニュースの原稿は、この使い分けをいちばん厳密にやっている文章のひとつなので、生きた教材になります。