「ネットに個人情報を出してはいけません」。何度も言われている言葉です。では、何が個人情報なのかと聞かれたら、たいていは「名前・住所・電話番号」と答えます。学校でもそう習います。まちがってはいません。ただ、この覚え方には大きな穴があります。名前も住所も電話番号も出していないのに、だれかを1人に決められてしまうことが、ふつうに起きるからです。しかもそれは、特別な道具も、あやしい技術も要りません。必要なのは、かけ算だけです。
5年生の社会では、情報を伝える仕事や、情報を使う産業について学びます。テレビや新聞がどうやってニュースを作るのか、お店がレジの記録をどう使っているのか。そして最後に、受け取るだけでなく自分が送る側にもなる時代だという話が出てきます。そこで必ずセットで出てくるのが、この個人情報の話です。
ところが教科書のあつかいは、たいてい数行です。「個人情報を大切にあつかいましょう」「勝手に人の写真を出してはいけません」。言っていることは正しいのに、なぜそれがあぶないのかというしくみが書かれていないので、注意書きとしてしか頭に残りません。注意書きは、守る理由が分からないと、だんだん守られなくなります。
この記事では、しくみのほうから始めます。5年生の社会で学ぶ個人情報の守り方は、じつは算数の「場合の数」とほとんど同じ考え方でできています。数えられる話なので、数えてみるのがいちばん早いのです。
まず、いちばん大事な言いかえをします。個人情報とは、名前・住所・電話番号という決まった種類の情報のことではありません。そう覚えると、「名前は書いてないから大丈夫」という、まちがった安心が生まれます。
正しくはこうです。個人情報とは、それを知ると、その人にたどりつける手がかりのことです。名前や住所は、たどりつく力がとくに強い手がかりなので代表として名前が挙がっているだけで、手がかりはほかにいくらでもあります。
個人情報かどうかは、情報の種類ではなく、その情報で候補が何人にせまくなるかで決まります。
この見方に切りかえると、質問の形が変わります。「これは個人情報ですか?」ではなく、「これを言うと、候補は何人減りますか?」になります。そして後者は、数えられます。
日本の小学生は、ぜんぶでおよそ600万人います。ここが出発点です。だれのことか、まったく分かりません。ここから、名前とは関係のない情報だけを1つずつ足していきます。
ここで手を止めて、いま何を出したか見てください。名前は1文字も出ていません。住所も、番地はおろか町名すら出ていません。電話番号も出ていません。出したのは、住んでいるところ、通っている学校、学年、男の子か女の子か、習いごと、生まれ月。どれも、1つだけ聞かされても「だからどうした」としか思えない情報ばかりです。
それでも、7つ集まると1人になりました。③で一気に300人まで落ちているのが効いています。1つの小学校に通う子どもの数は、全国でならすと300人くらいだからです。学校の名前というのは、1万人を300人にする力を持った情報だということになります。
いまのしぼりこみを、それぞれ「何分の1にしたか」という割合で書き直してみます。こうすると、どの情報が強いのかが一目で見えます。
かけ算の答えは1296万。日本の小学生の数より、ずっと大きな数です。つまりこの7つの条件にぴったり当てはまる小学生は、全国を探しても平均すると1人もいないくらい細い条件になっている、ということです。もし1人見つかったら、その人だと決めてしまってよい。そういう細さです。
6年生の算数で習う「場合の数」や、5年生の「割合」を思い出してください。やっていることはまったく同じで、かけ算はおそろしい速さで数を大きくするという、あの性質がそのまま効いています。情報を1つ足すたびに、候補はわり算されていきます。7回わり算をすれば、600万は消えてなくなります。
「1個ずつなら平気」という考え方は、ここで完全にくずれます。1個ずつが平気だからこそ、人は7個出してしまうのです。あぶないのは今から出す1個ではなく、これまでに出した全部の合計です。
いちばん手がかりが多くまぎれこむのが、写真です。自分が写したいものは1つでも、カメラは画面の中にあるものを全部いっしょに写します。
「顔は写っていないから大丈夫」とよく言いますが、顔は手がかりの1つにすぎません。上のうち2つか3つが写っていれば、さっきの表の①②③をまとめて渡したのと同じことになります。写真は、情報を1個ずつではなく束で出してしまうのが、こわいところです。
もう1つ、写真そのものには見えていない情報もあります。スマートフォンやカメラで撮った写真の中には、いつ撮ったか、どこで撮ったかという記録がいっしょに入っていることがあります。これは写真を見ただけでは分かりません。そういうしくみがある、ということだけ覚えておけば十分です。
ここが、多くの人が見落とすところです。さっきの7つを、1か所にまとめて書く人はいません。ふつうは、ばらばらに出ます。
ばらばらに出したのだから安全、とはなりません。「同じ人だ」とつながった瞬間に、時間も場所もこえて合計されるからです。名前の代わりに使われるのは、たとえばいつも同じアカウント名、いつも同じアイコン、いつも同じ口ぐせです。
だから、自分がこれまでに何を出したかを、1か所ずつではなくぜんぶまとめて思い出す必要があります。これは大人でもなかなかできません。できないからこそ、出す前に止めるほうが確実なのです。
手がかりが集まると、そのままでは終わらず、次の段階が起きることがあります。集めた手がかりを使って、知り合いのふりをすることができてしまうのです。
「〇〇小の5年だよね。サッカーやってるって聞いたよ。ぼくも前に△△にいたんだ」。こう言われたとき、人はどう感じるでしょうか。自分のことをこんなに知っているのだから、たぶん知り合いなのだろう、と感じます。これは自然な感じ方です。ふだんの生活では、自分のことをくわしく知っている人は、たいてい本当に知り合いだからです。
ネットでは、その当たり前が成り立ちません。くわしく知っている=知り合い、ではありません。くわしく知っているのは、調べたからかもしれません。知っている量は、相手が安全かどうかの証明になりません。
本当に知り合いかどうかを確かめる方法は1つだけです。ネットの外で確かめること。学校で会って聞く、家の人に聞く。画面の中だけで確かめようとすると、いくら質問しても、調べれば分かることを答えられるだけで終わります。
まちがえて出してしまったら、消せばいい。そう思うのがふつうです。実際、投こうを消すボタンはあります。けれど、消えるのは自分のところに置いた1つだけです。
テストの答案なら、消しゴムで消せばもとに戻ります。ノートに書いた字も同じです。ところが、外に出した情報だけは消しゴムがききません。コピーは、こちらの許可なくいくらでも増えるからです。
だから、この話には「まちがえたらやり直す」がありません。やり直せる場面は、出す前の一回だけです。ふだんの勉強では、まちがえて直すことがいちばんの上達法ですが、ここだけは例外だと考えてください。
もう1つ、忘れられがちなことがあります。自分が持っている手がかりは、自分のものだけではありません。
友だちといっしょに写った写真には、友だちの手がかりが同じだけ入っています。友だちの家の場所、きょうだいの人数、家の人の仕事。遊びに行けば自然に知ることです。自分のことは自分で決められますが、友だちの分を出すかどうかは、自分には決める権利がありません。
写真を出す前に「出していい?」と聞く。これは礼ぎの問題ではなく、持ち主にしか決められないことだからです。反対に、自分が写った写真を出されそうになったとき、「それはやめて」と言っていいのも同じ理由です。ことわるのは、わがままではありません。
「気をつける」では守れません。気をつけるのは気持ちであって、手順ではないからです。かわりに、出す直前に3つだけ自分に聞いてください。3つとも数秒で答えが出ます。
問い1 これは、候補をせまくする情報か。
住んでいるところ・学校・学年・習いごと・生まれ日・よく行く場所。どれも「何人減るか」で考えます。減らすなら、出す価値があるかを考え直します。
問い2 これまでに出した分と足すと、どこまでせまくなるか。
今日の1個ではなく、合計で見ます。すでに学校名を出しているなら、次の1個は300人を50人にする1個かもしれません。
問い3 この中に、自分以外の人のものが入っていないか。
写真・話の中身・名前。入っているなら、その人に聞くまで出しません。
この3つを通ったうえで出すなら、それは自分で決めたことになります。だめだと言われたから出さない、ではなく、自分で計算して決めたほうが、ずっと長持ちします。
もう出してしまった、へんな人に話しかけられた ── そういうときに、いちばん事を大きくしてしまうのは「言ったら怒られる」と思って黙ることです。早く言えば言うほど、できることが多く残っています。家の人や先生にとって知りたいのは、だれが悪いかではなく、今すぐ何をすればいいかです。
ここから先は中学以降の話ですが、考え方は今日やったことと同じです。日本には個人情報を守るための法律があり、そこでは個人情報を「特定の個人を識別することができるもの」と決めています。言いかえれば「だれか1人に決められるもの」。名前かどうかではなく、1人に決まるかどうかで線を引いているわけです。
さらに、ほかの情報と照らし合わせれば1人に決められるものも同じあつかいになります。これは、この記事でやった合わせ技のことです。法律のほうも、1個ずつではなく合計で見ているということです。
高校の情報の授業では、たくさんの人のデータから名前を消しても、いくつかの項目を組み合わせると個人が分かってしまう、という問題をあつかいます。今日のかけ算が、そのまま出てきます。
Q1 「名前も住所も書いていないから、この投こうは個人情報ではない」。この考え方のどこがまちがっていますか。
A 個人情報を情報の種類で決めているところです。個人情報かどうかは種類ではなく、その情報でどれだけ候補がせまくなるかで決まります。都道府県・市・学校名・学年・性別・習いごと・生まれ月の7つは、名前を1つも含まないのに、全国600万人を計算上1人まで細くします。
Q2 本文のしぼりこみで、いちばん力が強かったのはどの情報でしょう。理由もあわせて答えてください。
A 学校名です。約1万人を約300人にしたので、1回で30分の1にしています。1つの小学校に通う子どもは全国でならすと300人ほどなので、学校名が分かるとその300人の中の話になります。学校名は「住所ではないから平気」と思われやすいぶん、注意が要る情報です。
Q3 春・夏・秋・冬にばらばらの場所へ情報を出したとします。1か所ずつは平気なのに、なぜあぶないのでしょう。
A 同じ人が出したと分かった時点で、全部が足し算されるからです。出した場所や日がちがっても、しぼりこみのかけ算は成り立ちます。同じアカウント名やアイコンを使っていると、つなげる手がかりになります。
Q4 「きみのこと、学校も学年も部活も知ってるよ」と言う相手がいます。この人は知り合いだと考えてよいですか。
A いいえ。知っている量は、知り合いである証明になりません。調べれば知れることだからです。確かめる方法は、ネットの外で確かめること(学校で本人に会う、家の人に聞く)しかありません。画面の中で質問を重ねても、調べれば分かる答えが返ってくるだけです。
Q5 出してしまった投こうを消しました。これで元どおりになったと言えますか。
A 言えません。消えたのは自分のところにある1つだけで、見た人が保存したものや送り直されたものは残ります。情報は出した瞬間にコピーが増え、そのコピーは自分で消せません。やり直せるのは出す前の一回だけ、と考えてください。
この記事では、あえて「こわい話」を前面に出していません。危険を強調する伝え方は一時的には効きますが、なぜあぶないのかが残らないため、しばらくすると元に戻ります。かわりに置いたのが、かけ算による絞り込みです。数えられる形にしておくと、禁止のリストを覚えなくても、初めて出会う場面で自分で判断できます。
お子さんと話すときにおすすめなのが、本文の表を、お住まいの地域の実際の数字でやり直してみることです。市の人口は市のホームページにのっていますし、学校の児童数は学校だよりなどで分かります。自分の町の数字でやると、600万が1人になる感覚がまるで変わります。数字がずれても問題ありません。むしろ「どの情報がいちばん減らすか」を一緒に言い当ててもらうのが本題です。
本文の人数は、全国の小学生数や学校数をもとにしただいたいの数で、計算しやすいように丸めてあります。習いごとの5分の1も、しくみを見せるために置いた仮の数です。正確な統計値をあてることが目的ではなく、かけ算が効くことを実感してもらうのが目的である点を、ご承知おきください。
なお最後の囲みにも書きましたが、この分野でいちばん被害を大きくするのは「言ったら怒られる」と思わせてしまうことです。実際に何か起きたとき、第一報が早いほど打てる手が多く残ります。ふだんから「まず言ってくれたらそれでいい」と伝えていただけると、それだけで守りがかなり厚くなります。