国語辞典で「とる」を引くと、意味が十以上ならんでいます。はじめて見ると、うんざりするかもしれません。ひとつの言葉を覚えるのに十も覚えるのか、と。けれど、そこにならんでいるのは十個の別々の言葉ではありません。もとは一つの言葉で、それが少しずつ遠くへのびていった跡です。このように一語でいくつもの意味を持つ言葉を多義語といいます。そして読むときのわたしたちは、そのたくさんの意味から毎回きちんと一つを選んでいます。無意識にやっているその作業を、いちど表に出してみましょう。
まず、いくつか文を並べてみます。どれも「とる」が入っています。
意味はぜんぶちがいます。それでも、ふしぎなことに、どれも「とる」と書いて少しも気持ちわるくありません。もし本当に別々の言葉なら、日本語はとっくに書き分けているはずです。ためしに英語にしてみると、この五つは take、write、photograph、go away、reserve というように、ばらばらの語になってしまいます。日本語がひとまとめにしているものを、英語はばらして持っているのです。
ということは、日本語の「とる」がひとまとめなのには理由があるということになります。五つに共通しているものを探してみてください。どれも、あった場所からはなして、自分のほうへ移すという形をしています。えんぴつは机から手へ。写真は目の前の景色を紙へ。つかれは体からどこかへ。形はちがっても、動きの骨組みが同じなのです。
これが多義語のしくみです。意味が十個あるのではなく、骨組みが一つあって、そこに当てはまる場面が十通りある。覚える量は、見た目ほど多くありません。
ここで、辞典をもういちど見てみましょう。意味は①②③……と番号がついて並んでいます。この順番は、編集した人の気分で決めたものではありません。中心にある意味から先に、そこから遠い意味ほど後ろに置かれています。
①だけが目に見える動きで、後ろへいくほど目に見えなくなっていくのが分かります。言葉は、たいてい体の動きから始まって、目に見えないものへ広がっていくという道すじをたどります。つかむ相手が、物から、記録へ、時間へと変わっていったわけです。
だから、意味がたくさんある言葉に出会ったら、まず①を読んでください。①が幹で、あとは枝です。幹を知っていれば、辞典にのっていない使い方に出会っても、だいたい見当がつきます。
5年生では同音異義語も学びます。「こうえん」に公園・講演・後援があるというあれです。読みが同じで意味がちがう、と説明すると多義語とよく似て聞こえますが、この二つは中身がぜんぜんちがいます。
見わけ方はかんたんです。漢字で書き分けられるなら別の言葉、書き分けられないなら同じ言葉ののびた形。公園と講演は、ぐうぜん音がぶつかっただけの他人どうしですが、「とる」の五つはたがいに親せきです。
ややこしいのは、「とる」にも取る・採る・撮る・捕るのように漢字が何種類かあるところです。けれどこれは、もともと別の言葉だったから分かれたのではなく、意味がのびきったあとで、区別したくなった人が漢字をあとから当てた結果です。じっさい、どれを使うか迷ったらひらがなで書いてよいことになっています。公園と講演では、そうはいきません。
ここからが読解の話です。「とる」に五つの意味があるのに、わたしたちが読んでいて迷わないのはなぜでしょうか。言葉の前後が、意味をすでに一つにしぼってくれているからです。
かっこの中身が変わっただけで、「とる」の意味がひとりでに切りかわりました。読み手が選んでいるというより、組み合わせられる相手が最初から決まっているのです。「つかれをにぎる」とは言えませんし、「えんぴつを取りのぞく」は口には出せても、さした様子がまるで変わってしまいます。
このように、ある語の意味を決めているまわりの状況のことを文脈といいます。むずかしそうな用語ですが、やっていることは今見たとおりです。テストで「──線部の『とる』と同じ意味で使われているものを選びなさい」という問題が出るのは、この力を見るためです。解くときは、漢字に置きかえてみるのがいちばん速い方法になります。「メモをとる」は記す、「写真をとる」は撮す。字が同じになる選たくしが答えです。
多義語になりやすい言葉には、はっきりしたかたよりがあります。体の部分、そして毎日つかう短い動きです。
なぜ体なのでしょうか。人がいちばん早く覚え、いちばん多くつかう言葉だからです。新しいものを言いあらわしたくなったとき、人はまず自分の体から言葉を借りてきます。台風の中心をどう呼ぼうか困ったとき、わざわざ新しい語を作らずに「目」を借りた。机のささえる部分を「足」と呼んだ。言葉はこうして、数を増やさずに守備はんいを広げてきたのです。
ここで「手を焼く」や「足が出る」は慣用句ではないか、と気づいた人がいるかもしれません。そのとおりで、この二つはつながっています。多義語の枝がのびきって、決まった言い回しの形で固まったものが慣用句です。境目はきっちりしていません。「口が軽い」は多義語の枝とも慣用句とも呼べます。どちらの名前を当てるかより、二つが同じ広がり方のとちゅうにあると知っておくほうが役に立ちます。
その1 最初にのっている意味だけを読んで帰ってくる
辞典を引いて①だけ読み、意味が通らないまま先へ進んでしまう例です。番号がいくつまであるかを先に見て、それから元の文にあてはめて選ぶ。この順にすると防げます。
その2 多義語と同音異義語をまぜてしまう
「はし」に橋・はし・端があるから多義語だ、と答えてしまう例です。これらは漢字で書き分けられるので、別々の言葉、つまり同音異義語のなかまになります。判定は漢字で書けるかどうかで行います。
その3 枝のほうを中心だと思いこむ
「写真をとる」ばかりつかっていると、その言葉の中心の意味が撮影だと感じられてくることがあります。自分がよくつかう枝が幹に見えるのは自然なことですが、辞典の①に戻ればすぐ直せます。
その4 似た言葉なら入れかえられると思ってしまう
作文で語がかぶるのをきらって別の語にすると、意味までずれることがあります。「時間をとる」を「時間をつかむ」にはできません。枝は、近い語と自由に交かんできるわけではないのです。
Q1 「かける」をつかった文を三つ作り、意味がちがうことを確かめましょう。
A 橋をかける/電話をかける/いすにかけるなど。どれも「あるものを別のものへわたす・ひっかける」という骨組みを分けあっています。
Q2 「あつい」は多義語でしょうか、同音異義語でしょうか。
A 同音異義語。暑い・熱い・厚いと漢字で書き分けられます。書き分けられるものは、もともと別の言葉です。
Q3 山の「ふもと」と、問題の「ねもと」。体から借りた言葉はどちらでしょう。
A ふもとのほうで、足もとから来ています。ねもとは植物の根から来た言葉です。人は自分の体と、身近な植物から、とくによく語を借ります。
Q4 「メモをとる」と同じ意味のものを選びましょう。ア 出席をとる イ ぼうしをとる ウ きゅうけいをとる
A ア。出席をとるは記録するという意味で、メモの場合と同じ枝にあたります。イは手でにぎる、ウは時間をあける枝です。
語いを増やす学習というと、知らない言葉を新しく覚えることだと思われがちです。しかし実際の読解でつまずく多くの場面は、知っているはずの言葉が、知らない意味で使われていたときに起きています。「とる」も「かける」も一年生からつかっている言葉ですが、説明文に出てくる「時間をとる」「手間をかける」で止まってしまう子は少なくありません。ここで必要なのは新しい単語ではなく、ひとつの語が何本も枝を持っていると知っていることです。ご家庭で確かめるなら、辞典の番号を数えさせるだけで十分です。「『あげる』っていくつのっている?」と聞いて、七つ、八つと数えたあとに、「じゃあ全部に共通しているのは?」ともう一問だけ足してください。上へ動かすこと、と自分の言葉で言えたなら、この単元はつかめています。なお、この見方は英語にもそのまま効きます。get や take が辞書で長くなる理由は、日本語の「とる」が長くなる理由とまったく同じだからです。