「速い」と「早い」── 日本語には、もともと一つしかなかった
この単元について
「ぼくの弟は足がはやい」。この「はやい」を漢字で書きなさい、と言われたら、「速い」と「早い」のどちらを選びますか。正解は「速い」ですが、書く前に一瞬「どっちだっけ?」と手が止まった人は多いはずです。そして止まった自分に、「ちゃんと覚えていないからだ」とがっかりしたかもしれません。
でも、先に言っておきます。迷うのは、覚え方が足りないからではありません。あなたの耳にとって、「速い」の「はやい」と「早い」の「はやい」は、発音も意味の感じ方も、ほとんど区別のない一つの言葉だからです。実際、大昔の日本語では、本当に一つの言葉でした。それがなぜ二つの字に分かれたのか。そのしくみが分かると、同じ読み方の漢字の書き分けは、丸暗記の勝負から、推理で解ける問題に変わります。
二つに分けたのは、日本語ではなく漢字のほう
漢字が日本に来る前から、日本語には「はやい」という言葉がありました。動きがはやいのも、朝がはやいのも、同じ「はやい」。日本語は、この二つを分ける必要を感じていなかったのです。
ところが、漢字のふるさとの中国語では、事情がちがいました。中国語では「スピードがある」と「時刻が前である」は、最初から別の言葉で、別の字だったのです。スピードのほうが「速」、時刻のほうが「早」。日本人が漢字を輸入したとき、一つの「はやい」に対して、意味のちがいで二つの字を割り当てることになりました。
| 日本語(訓) | 中国から来た字 | 意味の守備はんい | |
|---|---|---|---|
| 動きの「はやい」 | はやい(一つだけ) | 速 | 同じ時間でたくさん進む。スピード |
| 時刻の「はやい」 | 早 | 時刻や時期が前。朝・先・まだの「はやい」 |
つまり、「速い」と「早い」の使い分けとは、外国語(中国語)の区別を、日本語の一つの言葉にかぶせているということです。日本語の側には、もともと境目がなかった。だから耳で考えても境目は見つからず、「どっちだっけ?」が起きるのです。これは3年生で勉強した音読みと訓読みの話の続きでもあります。訓読みとは、漢字に日本語の言葉をはり付けたもの。はり付けるとき、一つの日本語に二枚以上の漢字がはり付いてしまったのが、「同じ読み方の漢字(同訓異字)」の正体です。
武器1 ── 熟語にもどすと、字は一つに決まる
しくみが分かると、見分けるための強力な武器が手に入ります。訓読みの世界では「はやい」は一つに混ざっていますが、音読みの熟語の世界では、字はまったく混ざっていません。「速」はソク、「早」はソウ。熟語の中では、それぞれの字が自分の意味を守ってはたらいています。
だから、迷ったらその場面を熟語で言いかえてみるのです。
| 迷った文 | 熟語で言いかえると | 決まる字 |
|---|---|---|
| 足がはやい | 時速・速度・速球 ── スピードの仲間 | 速い |
| 朝はやく起きる | 早朝・早起き ── 時刻の仲間 | 早い |
| かぜをなおす | 治療(ちりょう)・全治 ── 病気・けがの仲間 | 治す |
| 自転車をなおす | 修理の「理」はないが、直線・直角の「もとのまっすぐにもどす」仲間 | 直す |
| おふろの湯があつい | 熱湯(ねっとう)・発熱 ── 物の温度の仲間 | 熱い |
| 夏の日ざしがあつい | 残暑・もう暑 ── 気候・天気の仲間 | 暑い |
| あつい本を読む | 厚紙(あつがみ)の仲間。温度とは無関係 | 厚い |
熟語を思い出すのは遠回りに見えますが、理にかなっています。熟語は中国語の組み立てのまま日本に入ってきた言葉なので、「速」と「早」を区別していた中国語の感覚が、熟語の中には生きたまま保存されているからです。訓で迷ったら音の世界に行って確かめて、答えを持って訓の世界にもどってくる。漢字辞典で調べるときも、この熟語の列を見ると、その字の守備はんいが一目で分かります。
武器2 ── 「はかる」は、使う道具を思いうかべる
同訓異字の中でも有名な難問が「はかる」です。測る・量る・計る。三つもあって、どれも「はかる」。これも丸暗記ではなく、その場面で使う道具を思いうかべると決まります。
| 字 | 何をはかるか | 思いうかべる道具 | 熟語での確かめ |
|---|---|---|---|
| 測る | 長さ・広さ・深さ・高さ | ものさし・メジャー | 測定・測量・体温を測定 |
| 量る | 重さ・かさ(体積) | はかり・計量カップ | 重量・分量 |
| 計る | 時間・数 | ストップウォッチ・時計 | 時計・計算 |
「プールの深さをはかる」なら、ものさしやメジャーの仲間だから「測る」。「小麦粉の重さをはかる」なら、はかりに乗せるから「量る」。「50m走のタイムをはかる」なら、ストップウォッチだから「計る」。「時計」と「計算」の「計」とだけ覚えておけば、時間と数は「計る」、残りのうち重さ・かさが「量る」、長さ系が「測る」と整理できます。
「とる」も同じやり方が効きます。手に持つのは「取る」(取得の取)。写真は「撮る」(撮影の撮)。昆虫や山菜を集めるのは「採る」(採集の採)。どれも、熟語か道具・場面を思いうかべれば、字は自分から決まってくれます。
武器3 ── 迷ったら、ひらがなで書いてよい
最後の武器は、意外に思うかもしれません。どうしても決められないときは、ひらがなで書いてよいのです。これはずるではなく、大人の文章の世界で実際に使われている正式なルールです。
新聞社や本を作る会社には、言葉の書き表し方を決めた分厚い手引きがあります。そこには、「同じ訓の漢字のうち、使い分けがまぎらわしいものは、ひらがなで書いてよい」という決まりがのっています。たとえば「取る・採る・撮る」のどれともいえない微妙な場面では、プロの記者も「とる」とひらがなで書きます。
理由は、この記事の最初にもどります。日本語の側では、「はやい」も「はかる」も「とる」も、もともと一つの言葉だからです。ひらがなで書くことは、その言葉を日本語の本来のすがたのまま書くことなので、何もまちがっていません。漢字で書き分けるのは、中国語の区別を借りて意味をくっきりさせたいときの、いわば上級の技。だから順番としては、①熟語にもどして確かめる ②道具や場面で見分ける ③それでも決まらなければ、自信のないまま漢字を当てずに、ひらがなで書く──これがいちばん誠実な書き方です。ただし、テストで「漢字で書きなさい」と指定されたときは③は使えないので、武器1と武器2で決めましょう。
まちがえやすいところ
1. 「はやく来て!」は、どちらもありえる
友だちに「はやく来て!」と言うとき、字はどちらでしょう。じつはこれは、伝えたい中身で変わります。「約束の時刻より前に来て」という意味なら「早く来て」。「今すぐ、大いそぎで(高いスピードで)来て」という意味なら「速く来て」。同じ場面でも両方ありえるので、テストでこの手の問題が出たら、前後の文から「時刻の話か、スピードの話か」を読み取るのがポイントです。境目の問題は、字ではなく文のほうに証拠があります。
2. 「暑い」と「熱い」の境目は、「空気か、物か」
「部屋があつい」「今日はあつい」のように、気温・天気・季節の話なら「暑い」。「スープがあつい」「フライパンがあつい」のように、さわれる物の温度なら「熱い」です。迷いやすいのは「おふろがあつい」。おふろは部屋のようでもありますが、あついのは湯という物なので「熱い」です。空気があついか、物があついか──境目はそこに引かれています。
3. 送りがなが、見分けのヒントになることがある
3年生で勉強した送りがなも、同訓異字の見分けに役立つことがあります。たとえば「あける」。「夜が明ける」「席を空ける」「ドアを開ける」は訓が同じですが、反対の言葉を考えると、明ける⇔暮れる、空ける⇔うめる、開ける⇔閉める、と相手がそれぞれちがいます。反対語がちがうなら、中身は別の意味。熟語テスト(明=明朝・空=空席・開=開門)とあわせて使うと、さらに確実になります。
4. この勉強は、5年生の「同音異義語」につながる
今日勉強したのは、訓読みが同じ漢字の書き分けでした。5年生では、こんどは音読みが同じ熟語(機会と機械、以外と意外など)の書き分けが出てきます。訓の世界では「熟語にもどす」が武器でしたが、音の世界では逆に「訓にもどす・意味のちがいにもどる」が武器になります。同じ読みの言葉をどうさばくかという問題意識は、ここから中学までずっと続いていきます。
まとめ
- 「速い」と「早い」の「はやい」は、もともと一つの日本語。二つに分けているのは中国語から来た漢字のほうなので、迷うのは当たり前
- 武器1=熟語にもどす。速度・時速なら「速い」、早朝・早起きなら「早い」。音読みの世界では字は混ざっていない
- 武器2=道具と場面。測る=ものさし(長さ)、量る=はかり(重さ・かさ)、計る=時計(時間・数)
- 武器3=決められないときはひらがなで書いてよい。プロの記者も使っている正式なルール
- 「暑い/熱い」の境目は空気か物か。「早く/速く」は時刻の話かスピードの話かを文から読み取る
同じ読み方の漢字は、「全部覚えた人が勝つ」単元に見えて、本当は「しくみに気づいた人が楽になる」単元です。一つの日本語に、意味で区別する漢字がはり付いている──この一枚の見取り図さえ持っていれば、初めて出会う同訓異字でも、熟語にもどして推理できます。丸暗記の荷物を、推理の道具に持ちかえてください。