朝、洗面所の鏡の前で右手を上げると、向こうの自分は左手を上げます。だれもが知っている「鏡は左右が逆」です。ところが、この言い方には、よく考えるとおかしなところがあります。左右を入れかえられるのなら、なぜ上下は入れかわらないのでしょう。鏡は、右と左を見分けているのでしょうか。この記事では紙を1まい使って、同じ鏡が「左右が逆」にも「上下が逆」にもなることを実際に確かめます。そこから分かるのは、鏡が入れかえているのは前と後ろ、たったひとつの向きだけだということです。
3年生の理科「光のせいしつ」では、鏡がしっかり登場します。鏡で日光をはね返して、かべに光を当てる。鏡を何まいか使って、同じところに光を集める。そこでみなさんが確かめたのは、光はまっすぐ進むこと、鏡はその光をはね返すことの二つでした。
ただし、教科書がふれているのはそこまでです。「鏡にうつった自分」がどうなっているかは、小学校のあいだ、どの学年でも単元になりません。鏡の中の像の位置をきちんと図でかくのは中学の内容です。
それでもこの記事を書いたのは、鏡が「習うよりずっと前に、全員が毎日見ているもの」だからです。しかも「鏡は左右が逆」という説明だけがひとり歩きしていて、多くの大人もそのまま覚えています。使う道具は、3年生で確かめた「まっすぐ進む」「はね返る」の二つだけです。新しく覚えることはありません。
新しい知識をふやすことより、すでに知っているつもりのことを、一度うたがってみることをねらいにしています。「なんとなく知っている」は、理科ではいちばんやっかいな状態です。
「鏡は左右が逆になる」と言うとき、何を見てそう言っているのでしょうか。ならべて書き出してみます。
どれも本当のことです。では、上下はどうでしょう。
ここで、はじめの問いが立ちます。鏡は左右だけを入れかえて、上下はそのままにしている。なぜそんなえこひいきをするのでしょう。
もし鏡がそういう働きをしているのなら、鏡は「こちらが右、こちらが左」と分かっていることになります。でも鏡は、ただのたいらなガラスです。どこにも右と左の区別はありません。鏡を横にかたむけても、さかさまに立てかけても、うつり方は変わりません。鏡自身は、右と左を知らないのです。それなのに左右だけが入れかわる、というのは、どう考えても話が合いません。
話が合わないときは、たいてい見ている側の言い方がまちがっています。そこで、紙を1まい用意して、鏡に何ができて何ができないのかを、自分の手で確かめます。
用意するものは、紙1まいとペン、そして鏡です。洗面所の鏡でも、手鏡でもかまいません。
紙のまん中に、大きく「ア」と書いてください。ひらがなよりカタカナのほうが、裏返ったときに気づきやすいです。書いたら、字がこちらを向くように持ち、鏡の前に立ちます。いまは字が自分のほうを向いているので、鏡には紙の裏しかうつっていません。
ここからが本番です。紙を鏡のほうへ向けるやり方は、じつは二とおりあります。
どちらでも、字は鏡のほうを向きます。ではAでやってみてください。鏡の中の「ア」は、上下はそのままで、左右がひっくり返った字になっているはずです。いつもの「鏡は左右が逆」です。
紙をもどして、こんどはBでやってみてください。鏡の中の「ア」は、さかさまになっています。左右ではなく、上下がひっくり返っているのです。
鏡は、AのときもBのときも、まったく同じ鏡です。動かしても、かたむけてもいません。動かしたのは紙を持っている自分の手だけ。それなのに、結果は「左右が逆」と「上下が逆」に分かれました。
ということは、逆になる向きを決めていたのは、鏡ではなく自分だったということになります。
この一点で、「鏡は左右を入れかえる」という説明はくずれます。鏡がしているのは、左右を入れかえることでも、上下を入れかえることでもありません。
答えは、前と後ろです。鏡は、こちらへ向かってくる向きと、向こうへ行く向きだけを、ひっくり返しています。
たしかめ方はかんたんです。鏡に向かって、人さし指をまっすぐつき出してください。鏡の中の指は、こちらへ向かってつき出されています。あなたの指は「奥へ」向かっているのに、像の指は「手前へ」向かっている。向きが反対になったのは、この一つだけです。
上下はどうでしょう。あなたの頭は上、像の頭も上。入れかわっていません。左右も同じです。あなたの右手は、鏡に向かって立っているあなたから見て右がわの空間にあり、像の手も、その同じ右がわの空間にあります。場所は動いていないのです。
ここまで読んで、「でも、向こうの人が上げているのは左手じゃないか」と思った人は、正しく引っかかっています。その気持ちの正体が、この記事のいちばん大事なところです。
鏡の中に見えているのは、こちらを向いた人の形です。人は、こちらを向いた人を見ると、何も考えずに「その人は、自分とは反対を向いて立っている」と読みます。そして、反対を向くというのは、ふつう体を横にくるりと回すことです。
横に回って向き合った人の右手は、こちらから見て左がわに来ます。だからあなたは、鏡の中の右がわの手を見て「あれは左手だ」と読むのです。この読みかえは、鏡ではなく、あなたの頭の中で起きています。
もし人が、向き合うときに体を横ではなくたてに回して(さかだちして)向き合う生き物だったら、同じ鏡を見て「鏡は上下が逆になる」と言っていたはずです。人の体は左右がだいたい同じ形をしていて、上下はまったくちがう形をしているので、横に回したと読むほうが自然なだけなのです。
さきほどの紙の実験が、まさにそれでした。Aは紙を横に回し、Bはたてに回した。つまりあなたが紙をどちら回りで向き合わせたかが、そのまま「どちらが逆に見えるか」になっていたのです。
「鏡は左右が逆」は、正しくは「鏡にうつった自分を、横に回って向き合った人だと読むと、左右が入れかわって見える」という意味です。長いですが、こう言えば一つもうそがありません。
いちばん強い証拠は、外にあります。雨あがりの水たまり、池の水面、よく晴れた日の田んぼ。あそこにうつる景色を見て、「左右が逆だ」と言う人はいません。だれもが「上下が逆」「さかさまにうつっている」と言います。
水面は、地面に置かれた鏡です。鏡としての働きは、洗面所の鏡とまったく同じ。ちがうのは向きだけです。
同じしくみの鏡なのに、人の感想だけが変わりました。鏡は、置かれた向きにまっすぐはね返しているだけです。「左右が逆」という感想は、鏡が立っているときにだけ出てくる、人間がわの都合だったわけです。
もうひとつ、家でできるたしかめ方があります。手鏡を持って、横向きにねころんで自分をうつしてみてください。ねころんだ自分から見ると、逆になっているのは左右ではなく、頭と足のほうだと感じられます。鏡は何も変えていません。変わったのは、あなたの体の向きだけです。
鏡は前と後ろを入れかえている、と分かると、像の場所もはっきりします。鏡の中の自分は、鏡から自分までのきょりと同じだけ、鏡の向こうがわに立っています。
これも実験で確かめられます。鏡から1歩下がってみてください。像も1歩下がります。ということは、自分と像のきょりは2歩ぶん遠くなるということです。鏡に近づけば、像も同じだけ近づいてきます。だから、鏡にどれだけ顔を近づけても、像の顔とぶつかることはあっても、追いこすことはありません。
なぜそうなるのか。3年生で確かめた「光はまっすぐ進む」が効いています。あなたの顔から出た光は、鏡で折り返して目にもどってきます。でも目は、光が折り返したことを知りません。目は、光が来た向きにまっすぐさかのぼった場所に、ものがあると思いこみます。折り返したぶんだけ、奥に。それが鏡の中の自分の正体です。
だから鏡の中の自分は、絵ではありません。鏡のガラスの表面にはりついているわけでもありません。光がまっすぐ進むと信じている目が作り出した、うその場所です。カメラのピントを鏡の中の自分に合わせると、ガラスの表面ではなく、もっと遠くにピントが合います。この点でも、像はちゃんと「奥にある」のです。
像が鏡の向こうの決まった場所にある、と分かると、おもしろいことが計算できます。頭のてっぺんから足の先まで自分をうつすのに、どれくらい大きな鏡がいるでしょう。
身長と同じ高さの鏡がいりそうに思えますが、じつは身長の半分でたります。しかも、鏡からどれだけはなれても、必要な大きさは変わりません。
理由は、像の場所から考えると見えてきます。目と、鏡の中の頭のてっぺんを、まっすぐな線でむすんでみてください。その線が鏡を横切る高さが、鏡に必要な上のはしです。像は鏡の向こうに同じきょりだけあるので、この線が鏡を横切るのはちょうどまんなか ── つまり目と頭のてっぺんの中間の高さになります。足の先も同じで、目と足の先の中間の高さが下のはしです。
家の鏡で試せます。全身がうつる鏡の前に立って、頭のてっぺんが見えるいちばん上と、足の先が見えるいちばん下に、はがせるテープをはってみてください。そのあいだの長さをはかると、身長のおよそ半分になっています。そのまま3歩下がって、もう一度たしかめてください。テープをはる場所は変わりません。下がると自分は小さくうつるのに、必要な鏡の大きさは変わらない ── ここがいちばん意外なところです。
下がると、像も同じだけ遠ざかります。像が小さく見えるぶん、目から像を見わたす角度はせまくなりますが、鏡までのきょりも遠くなっているので、鏡の上ではちょうど同じはばになります。このつり合いのおかげで、必要な鏡の大きさは変わりません。
道で救急車を見かけたら、前のボンネットを見てください。「救急」の字が、裏返しに書いてあります。わざとです。
救急車の前を走っている車の運転手は、うしろをふり返れません。見るのはバックミラーです。バックミラーには、うしろの景色が鏡にうつった形で見えます。そこで救急車の字がふつうに書いてあると、ミラーの中では裏返って読めなくなります。
そこで、はじめから裏返して書いておくのです。ミラーでもう一度裏返るので、運転手には正しい字として読めます。裏返しを2回すると、もとにもどるわけです。
この「2回でもとにもどる」は、紙の実験でもすぐ確かめられます。「ア」と書いた紙を鏡に向け、鏡にうつった裏返しの「ア」を、もう1まいの紙にそのまま写してください。その紙を鏡に向けると、こんどはちゃんと「ア」に見えます。
ちなみに、裏返しに書いてあるのは前だけです。車の横やうしろの「救急」は、ふつうの向きに書かれています。直接見る人のための字と、ミラーごしに見る人のための字が、1台の中で書き分けられているのです。
鏡の中の自分は、見なれた自分です。でもそれは、ほかの人が見ているあなたとは、左右が入れかわった姿でもあります。人の顔は、じつは左右がそっくり同じではありません。目の大きさ、まゆの形、口のはし、かみの分け目 ── どれも少しずつちがいます。
自分の写真を見て「なんだか変な顔だ」と感じたことはありませんか。あれは、写真が失敗しているのではありません。写真には、ほかの人が見ているとおりのあなたがうつっているのです。あなたが見なれているのは鏡の中の顔なので、そちらでないと変に感じてしまう、というだけのことです。
では、人から見えている自分を、鏡で見ることはできないのでしょうか。できます。鏡を2まい用意して、本を開いたように直角に立ててください。そのつなぎ目のあたりをのぞきこむと、見なれない自分が現れます。
しくみは、救急車と同じ「2回」です。光が1まい目の鏡ではね返り、そのまま2まい目でもう一度はね返ってから目にとどくので、裏返しが2回起きて、もとにもどっているのです。つなぎ目に顔を近づけたりはなしたりすると、ふだんの自分と入れかわるところが見つかります。たいていの人は、ここで自分の顔が左右そろっていないことに初めて気づきます。
2まいの鏡は、きっちり直角に近づけるほどうまくいきます。角度が開きすぎると自分が2人に分かれ、せますぎると顔がゆがみます。手鏡2つでも、スマートフォンの自分どり画面と手鏡1つでもできます。「いつもの自分と、ちょっとちがう」と感じたら成功です。
ここまで「たいらな鏡」の話をしてきました。たいらな鏡は、前と後ろしか入れかえません。では、上下がはっきり逆になる鏡はないのでしょうか。
あります。台所のスプーンです。スプーンの内がわ(くぼんだほう)に顔をうつすと、さかさまに見えます。外がわ(ふくらんだほう)にうつすと、小さくなりますが、さかさまにはなりません。
ただし、これは今までの話をひっくり返す例ではありません。スプーンの面が、たいらではなく曲がっているから起きていることです。曲がった面では、はね返った光がとちゅうで交わって、向きが入れかわります。虫めがねで日光を1点に集めたときの、あの集まるところが関係しています。
大事なのは、「さかさまになるのは鏡が曲がっているとき」であって、洗面所のたいらな鏡は、けっして上下を逆にしないということです。曲がった鏡のくわしいしくみは中学より先で習いますが、スプーン1本で確かめられるので、ぜひやってみてください。
| 鏡の種類 | 身近な例 | 見え方 |
|---|---|---|
| たいらな鏡 | 洗面所の鏡・手鏡・水面 | 前と後ろだけが入れかわる。大きさは変わらない |
| 外がわにふくらんだ鏡 | スプーンの外がわ・道路のカーブミラー | 小さくうつるが、さかさまにはならない。広いはんいが見える |
| 内がわにくぼんだ鏡 | スプーンの内がわ・けしょう用の拡大鏡 | 近づけると大きく、はなすとさかさまになる |
道路のカーブミラーが小さく見えるのは、こわれているからでも遠いからでもありません。広いはんいを1まいにおさめるために、わざとふくらませてあるからです。そのぶん、うつったものは実際より遠くにあるように感じられます。車の運転で気をつけるように言われるのは、この見え方のくせのためです。
Q1 鏡は本当に左右を入れかえているのか、紙1まいで確かめるにはどうすればよいですか。
A 紙に字を書いて、横に回して鏡に向ける場合と、たてに回して向ける場合をくらべます。横に回すと左右が、たてに回すと上下がひっくり返って見えます。鏡は動かしていないのに結果が変わるので、逆になる向きを決めているのは鏡ではなく、紙を回した自分だと分かります。
Q2 水たまりにうつった木を見て、「左右が逆だ」と言う人がいないのはなぜですか。
A 水面は地面にねている鏡なので、入れかわるのは上と下になるからです。鏡のしくみは立っている鏡と同じで、ちがうのは置かれた向きだけです。人は「さかさまになった」と読むので、「上下が逆」という感想になります。
Q3 鏡から50cmはなれて立っています。鏡の中の自分とのあいだのきょりは何cmですか。また、そこから1m下がると何cmになりますか。
A 像は鏡の向こうに50cmのところにできるので、50+50=100cmです。1m下がると自分は鏡から150cmになり、像も150cmになるので、150+150=300cmです。自分が下がった分の2倍ずつ、あいだが広がっていきます。
Q4 救急車の前に「急救」と裏返しに書いてあるのはなぜですか。また、うしろにも裏返しで書いてあるでしょうか。
A 前を走る車の運転手が、バックミラーごしに見るからです。ミラーの中でもう一度裏返るので、裏返して書いておくと正しく読めます。うしろや横は直接見る人のためのものなので、ふつうの向きに書かれています。
Q5 身長150cm、目の高さ140cmの人が、頭のてっぺんから足の先まで全身をうつすには、たてが何cmの鏡がいりますか。
A 上のはしは(150+140)÷2=145cm、下のはしは(0+140)÷2=70cm。必要なたては145-70=75cmで、身長150cmのちょうど半分です。鏡からどれだけはなれても、この75cmは変わりません。
Q1とQ2は「逆になる向きは鏡が決めていない」こと、Q3は像の場所、Q4は裏返しを2回すること、Q5は像の場所から出てくる計算でした。ばらばらに見えますが、もとにあるのは「鏡は前と後ろだけを入れかえる」という一行だけです。
鏡にうつった像のしくみは、小学校の理科では単元になりません(3年生で扱うのは「鏡で光をはね返す」までで、像の作図は中学の内容です)。それでも取り上げたのは、鏡が「習う前に全員が毎日見ているもの」の代表であり、しかも「鏡は左右が逆」というあやしい説明つきで広まっているからです。まちがった説明を先に覚えてしまうと、あとで正しく習うときに、かえってじゃまになります。
ご家庭でしていただけると効果が大きいのは、紙を横に回す・たてに回すの2回だけです。道具は紙1まいとペンだけ、時間は1分もかかりません。同じ鏡なのに結果が変わった、というおどろきが、この記事の残りをぜんぶ運んでくれます。
全身鏡にテープをはる実験は、下がっても位置が変わらないところまで一緒に見ていただけると、いちばん驚きが大きい部分です。答えを先に言わずに「下がったら、テープはどっちに動くと思う?」と聞いてから試していただくと、予想を立てる練習にもなります。
なお本文では、理科の用語である「反射」「実像」「虚像」「凹面鏡」「凸面鏡」といった言葉は使わず、「はね返る」「鏡の中の自分」「くぼんだ鏡」「ふくらんだ鏡」で通しました。曲がった鏡でさかさまに見えるしくみは、もっと先の学年でくわしく扱う内容なので、ここでは「たいらな鏡では起きない」という区別を示すにとどめ、理由の説明はあえて深追いしていません。言葉を先に覚えるより、起きていることの形を先に持っておくほうが、あとの学習につながりやすいと判断したためです。