3年 理科 光のせいしつ

絵の具は混ぜると暗くなり、画面の光は混ぜると明るくなる ── 色は、物についている性質ではない

図工の時間に、赤と青と黄色の絵の具を混ぜたことがあると思います。混ぜるほど濁って、最後は黒っぽい灰色になりますね。ところが、今見ているタブレットやテレビの画面は、赤・緑・青のたった3色だけを混ぜて、まぶしい白まで作っています。同じ「混ぜる」なのに、片方は暗いほうへ、片方は明るいほうへ進む。この逆向きの動きは、実は1つの考え方できれいに説明がつきます。そして、その先にはもっと意外なことが待っています ── 色は、物にくっついている性質ではありません。

教科書のどこに出てくるか

3年生の理科で習う「光のせいしつ」では、鏡で日光をはね返したり、虫めがねで集めたりして、光がまっすぐ進むことをたしかめます。ただ、そこで色の話はほとんど出てきません。いっぽう、色を混ぜる作業のほうは図工でさんざんやります。やっているのに理由は習わない、という妙なすき間にあるのが「色」です。

しかも今は、一人一台のタブレットを毎日見る時代です。絵の具と画面という、正反対のふるまいをする2つを同時に使っているのに、どちらのしくみも説明されないまま大きくなってしまいます。まず、2つのちがいを並べてみましょう。

絵の具・色えんぴつタブレットやテレビの画面
もとになる3色赤・青・黄(ほんとうはもう少しちがう)赤・緑・青
混ぜていくとだんだん暗くなるだんだん明るくなる
3色ぜんぶ混ぜると黒っぽい灰色白
何も使っていないとき紙の白画面の黒
まっ暗な部屋では何も見えないちゃんと見える

いちばん下の行に注目してください。まっ暗な部屋に絵をかいた紙を置いても、何もうつりません。でも画面は暗い部屋でも見えます。ここに、この記事の答えの半分がもう出ています。画面は自分で光っていて、紙は光っていないのです。

物の色は、返してきた光の色

先に、いちばん土台の話をします。太陽の光や部屋の明かりのような白い光には、赤から紫までの色がぜんぶ入っています。雨上がりの虹は、その中身がばらけて見えたものです。

では、トマトが赤いのはなぜでしょう。トマトが赤い光を作っているのでしょうか。ちがいます。トマトは白い光をあびて、赤いところだけを返し、のこりを吸いこんでいるのです。

白い光  赤 だいだい 黄 緑 青 むらさき          ↓ あたる         トマト          ↓ 返ってくる  赤 吸いこまれた   だいだい 黄 緑 青 むらさき → 熱になる

葉っぱが緑なのは、緑のあたりを返してのこりを吸っているから。レモンが黄色いのは、黄色のあたりを返しているから。どの物も、光を作ってはいません。えらんで返しているだけです。

ここがだいじ

色が見えるには、3つがそろう必要があります。①光があること ②物が光をえらんで返すこと ③目がそれを受け取ること。3つのうち1つでも欠けたら、色は決まりません。まっ暗な部屋でトマトが赤く見えないのは、トマトが色をなくしたからではなく、返すための光が来ていないからです。トマトは何も変わっていません。

絵の具は「吸う担当」。混ぜると担当が増える

ここまで分かれば、絵の具の話はすぐです。絵の具の一粒一粒は、決まった色を吸いこむ担当をしています。青い絵の具は赤のあたりを吸う担当、黄色い絵の具は青むらさきのあたりを吸う担当です。

では、青と黄色を混ぜるとどうなるでしょうか。吸う担当が2ついっしょになります。

白い光  赤 だいだい 黄 緑 青 むらさき 青の絵の具が吸う   赤 だいだい 黄 黄の絵の具が吸う   青 むらさき のこって返るのは   緑     → 目には「緑」に見える

青と黄色を混ぜると緑になる、という図工でおなじみのできごとは、「どちらの絵の具も吸わなかった色だけが生きのこった」結果だったのです。混ぜて緑を作ったのではなく、緑以外を消していった、と言ったほうが近いでしょう。

この考え方だと、次のこともすぐ分かります。絵の具は混ぜれば混ぜるほど、吸う担当が増える。返ってくる光は減る一方です。だから、

2色混ぜる → 少し暗い 3色混ぜる → もっと暗い たくさん混ぜる → ほとんど返らない = 黒っぽい灰色

混ぜて明るくなる絵の具の組み合わせは、ひとつもありません。白い絵の具を足したときだけ明るくなりますが、あれは「吸わない粒」を混ぜて薄めているだけで、色を混ぜているのとは別のことをしています。

画面は「出す担当」。混ぜると光が増える

画面は正反対です。絵の具のように光を吸うのではなく、自分から光を出します。出す色は3つだけ ── 赤・緑・青です。

赤 + 緑    = 黄色 緑 + 青    = 水色(シアン) 赤 + 青    = 赤むらさき(マゼンタ) 赤 + 緑 + 青 = 白 どれも出さない  = 黒

足していけば光の量は増えるのですから、明るくなるのは当たり前です。そして3つぜんぶを同じくらい出したときが、いちばん明るい白になります。画面の「黒」は、黒いインクをぬっているのではなく、その場所が光るのをやめているだけです。

絵の具と画面のちがいを一行でまとめると、こうなります。

一行でいうと

絵の具を混ぜるのは引き算(白い光から色を引いていく)。画面で混ぜるのは足し算(まっ暗なところに光を足していく)。出発点が正反対なので、進む向きも正反対になります。

やってみよう ── 画面をすごく近くで見る

ここは実物で確かめられます。道具は、水のしずく1つで足ります。

① タブレットやスマホで、まっ白な画面を出す   (メモ帳を開いて何も書かない、でよい) ② 画面に、水のしずくを1てきだけそっと落とす ③ 目を近づけて、しずくごしに画面を見る   (虫めがねがあれば、そのほうが楽)

すると、まっ白に見えていたところが、赤・緑・青の細長い点がぎっしり並んだものだった、と分かります。水のしずくは、まるいので虫めがねと同じはたらきをします。

おもしろいのは、そのあとです。画面に黄色いところを出して、同じように見てみてください。赤と緑だけが光っていて、青は消えています。水色のところなら緑と青だけ、黒いところは3つとも消えています。

ここで、大きな疑問が出てきます。画面には黄色く光る部品が1つも入っていません。赤と緑が別々に光っているだけです。それなのに、少しはなれて見ると、どうしても黄色に見える。目はなぜ、だまされてしまうのでしょうか。

目の中に、色のセンサーは3種類しかない

答えは、見ているがわ ── つまり自分の目の中にあります。人の目のおくには色を感じる部品が並んでいますが、その種類はたったの3つです。それぞれ、赤のあたり・緑のあたり・青のあたりによく反応します。

そして、脳がやっていることは単純です。3つのセンサーがどれくらいの強さで反応したか、その組み合わせだけを見て「この色だ」と決めているのです。届いた光の中身を調べているわけではありません。

目に届いた光赤センサー緑センサー青センサー脳の答え
ほんものの黄色い光強い強い弱い黄色
赤い光+緑の光強い強い弱い黄色

表の2行は、光の中身がまったくちがいます。上は1種類の光、下は2種類の光が並んでいるだけ。それでもセンサーの反応がそっくり同じなので、目には区別がつきません。画面は、この性質をそのまま利用して作られた機械です。ほんものの黄色を用意しなくても、赤と緑を光らせれば黄色として通ってしまう。3色で足りるのは、世の中の色が3色でできているからではなく、受け取る側のセンサーが3種類しかないからなのです。

ここがだいじ

色は、光そのものの中にも、物の中にも、そのままの形では入っていません。目に届いた光を、3つのセンサーが測って、脳が出した答えが色です。だから、センサーの種類がちがう生き物には、同じ景色が別の色に見えます。犬はセンサーが2種類で、赤と緑の区別が人ほどつきません。モンシロチョウは人に見えない光まで感じていて、人の目にはどれも同じ白に見えるはねを、オスとメスで見分けています。どちらが正しい色か、という問いには意味がありません。

プリンターのインクが、赤・青・黄ではない理由

家やコンビニのプリンターのインクを見ると、名前がふしぎです。シアン(水色)・マゼンタ(赤むらさき)・イエロー(黄色)。図工で習った「赤・青・黄」ではありません。

理由は、ここまでの話でもう出ています。インクは引き算の仲間です。引き算でうまく色を作るには、画面の3色(赤・緑・青)を1つずつ、きれいに消せる3色をそろえるのがいちばん効率がよいのです。

インク吸う(消す)担当返って見える色
シアン赤緑+青 = 水色
マゼンタ緑赤+青 = 赤むらさき
イエロー青赤+緑 = 黄色

足し算の3色と引き算の3色は、ぴったり裏表の関係になっています。シアンは赤の反対、マゼンタは緑の反対、イエローは青の反対。図工の「青と黄」は、ほんとうはシアンとイエローのことを、おおざっぱに呼んでいたのです。

では、3色そろっているのに黒インクが別にあるのはなぜでしょう。理屈のうえでは3色を重ねれば黒になるはずですが、実際にはインクの粒が少しずつ光を返してしまい、こげ茶色っぽい黒にしかなりません。それに、文字1つ印刷するのに3色を重ねるのはインクのむだで、紙もぬれてよれてしまいます。だから黒だけは、はじめから専用に持っておくのです。

黒い服が夏に暑い理由も、同じ話

物の色が「返した光の色」だと分かると、生活の中のできごとがいくつかまとめて説明できます。

白い服が白いのは、あたった光をほとんど返しているからです。黒い服が黒いのは、ほとんど返さず、吸いこんでいるから。そして吸いこまれた光は、消えてなくなるわけではありません。熱に変わります。夏に黒い服が暑いのは、色の好みの問題ではなく、太陽の光を熱に変える量が多いからです。

白い服  あたった光 → ほとんど返す → あまり熱くならない 黒い服  あたった光 → ほとんど吸う → 熱になる = 暑い

4年生で習う「もののあたたまり方」と、ここでつながります。同じ理由で、夏の校庭の黒いゴムマットは、白いラインの部分よりずっと熱くなっています。

もうひとつ、夕方の話もしておきます。部屋が暗くなってくると、物の形は見えるのに色だけがぼんやりして、灰色っぽくなってきませんか。これは、さっきの3種類のセンサーが、明るくないとうまく働かないからです。暗いときは別のセンサーが働くのですが、そちらは1種類しかありません。1種類では、明るい・暗いしか分かりません。だから月明かりの下では、どの車も同じような灰色に見えるのです。

やってみよう

Q1 絵の具は混ぜるほど暗くなるのに、画面の色は混ぜるほど明るくなります。どうしてでしょう。

A やっていることが反対だからです。絵の具は白い光から色を吸って減らしているので、混ぜると吸う担当が増えて返る光が減ります。画面はまっ暗なところに光を足しているので、混ぜるほど光の量が増えます。引き算と足し算のちがいです。

Q2 青の絵の具と黄色の絵の具を混ぜると緑になります。緑はどこから来たのでしょう。

A どこからも来ていません。はじめから白い光の中にあった緑が、最後まで吸われずに残っただけです。青の絵の具は赤のあたりを吸い、黄色の絵の具は青むらさきのあたりを吸います。どちらも手を出さなかったのが緑で、それだけが返ってくるので緑に見えます。

Q3 画面には黄色く光る部品が入っていないのに、黄色がちゃんと見えます。なぜでしょう。

A 人の目には色のセンサーが3種類しかなく、脳はその反応の組み合わせだけで色を決めているからです。ほんものの黄色い光も、赤い光と緑の光が並んだものも、3つのセンサーの反応がそっくり同じになります。だから目には区別がつきません。画面は、その性質を使って作られています。

Q4 プリンターのインクが赤・青・黄ではなく、シアン・マゼンタ・イエローなのはなぜでしょう。

A インクは引き算だからです。引き算で色を作るには、赤・緑・青を1つずつきれいに消せる3色をそろえるのが効率的で、それがシアン(赤を消す)・マゼンタ(緑を消す)・イエロー(青を消す)です。図工の「青と黄」は、この水色と黄色をおおざっぱに呼んだものでした。

Q5 まっ暗な部屋に赤いトマトを置きました。トマトは何色でしょう。

A 答えが1つに決まらない、というのが正しい答えです。色は光・物・目の3つがそろってはじめて決まるもので、暗い部屋には返すための光がありません。トマトのつくりは何も変わっていませんが、色は決まっていない状態です。「赤い光を返すつくりを持っている」とは言えても、「いま赤い」とは言えません。

まとめ

おうちの方へ

色の学習は、図工では「混ぜる」という作業として、理科では光の進み方として、それぞれ別々に扱われます。混色がなぜ濁るのかという肝心のところは、小学校ではほとんど説明されません。実際に学校で本格的に習うのは中学以降です。それでも記事にしたのは、お子さんが毎日、絵の具と画面という正反対の2つを同時に使っているからです。
ご家庭でぜひ試していただきたいのは、水のしずく1てきを画面に落として、しずくごしに白い画面をのぞく実験です。虫めがねがなくても、水のふくらみがレンズになります。赤・緑・青の点が並んでいるのが見えた瞬間、「白は白い光ではなく、3色が集まったものだった」というのが理屈ぬきで伝わります。そのあと画面に黄色を出して見ると、青だけが消えていることも確認できます。
この記事では、目のセンサーの名前(錐体・桿体)や光の波長といった言葉は使わず、「3種類のセンサー」「赤のあたり・緑のあたり」という言い方にとどめました。中学・高校でその名前に出会ったときに、今回の表がそのまま使えるようにするためです。
なお、図工で教わる「色の三原色は赤・青・黄」という言い方は、まちがいというよりも入門用の簡略版です。正確にはシアンとマゼンタとイエローで、お子さんが「学校で習ったのとちがう」と感じたときは、「もっとちゃんとやるとこうなる」と説明していただければ十分です。