「走る」「食べる」のような、うごきをあらわすことばを ならいます。この とき「うごいて いる ことばを えらびましょう」と いわれます。ところが、その やり方だと かならず まよう ことばが 出て きます。じつは この なかまには、いみとは 関係の ない、ぜったいに やぶれない 目じるしが あります。
まず、ふしぎな ことに 気づいて ください。同じ 文の 中に ある ことばなのに、かたほうは まったく 形を 変えず、もう かたほうは くるくる 形を 変えます。
四つの 文で、「犬」は ずっと「犬」の ままです。犬った、犬らない、犬ります ── そんな 言い方は ありません。ところが「走る」の ほうは、走った・走らない・走ります と、うしろが つぎつぎ 変わって いきます。
これは たまたまでは ありません。ことばには 形を 変えられる なかまと、変えられない なかまが あって、うごきの ことばは 形を 変えられる がわの 代表なのです。「犬」「本」「学校」のような 名前の ことばは、何が あっても 形が 変わりません。
だから、うごきの ことばを さがす ときに 見るべきなのは「うごいて いるか どうか」では なく、「形が 変わるか どうか」です。ここが 出発点に なります。
形が 変わる、と いう ことは、同じ ことばに いくつも すがたが ある と いう ことです。それでは 見分けに くいので、いつも ひとつの すがたに そろえてから 考えます。その そろえた すがたを「言いきりの 形」と いいます。
言いきりの 形とは、文の おしまいに 来て、そこで 一つの 話が 終わる 形の ことです。作り方は かんたんで、文の おしまいに その ことばを 立たせて、うしろに 何も つけずに 言って みます。
この 言いきりの 形は、じつは みなさんが もう 会って いる 形です。国語じてんで ことばを 引く とき、のって いるのは いつも この 形だからです。「走った」を 引きたければ「走る」を さがしますね。だから 言いきりの 形は「じてんの 形」とも よばれます。
言いきりの 形に そろえる ── これが 一つめの 手じゅんです。ここを とばして 見分けようと すると、走った なのか 走らない なのかで まいかい まよう ことに なります。
さて、ここからが この 話の しんです。言いきりの 形に そろえた ことばの、いちばん さいごの 一音だけを 聞いて ください。うごきの ことばは、ひとつ のこらず「ウ」の れつの 音で 終わります。
う・く・ぐ・す・つ・ぬ・ぶ・む・る。この 九つ しか ありません。世の中に うごきの ことばは 何千と ありますが、言いきりの 形に した とき、この 九つ 以外の 音で 終わる ものは 一つも ないのです。
おまけの 話を ひとつ。「ぬ」で 終わる ことばを 思いうかべて みて ください。いくら 考えても「死ぬ」しか 出て こないはずです。いまの ことばでは、ほんとうに この 一つだけ なのです(むかしの ことばには「いぬ=行って しまう」が ありました)。ひとつしか ない ならびが ある と いう ことは、この 九つの 音が だれかの 思いつきでは なく、日本語の しくみ そのものだと いう しょうこです。
反対に、うごきの ことばで ない ものは、ぜったいに ウの 音で 終わりません。
つまり 見分けは 二 だんかいです。①言いきりの 形に もどす ②さいごの 音を 聞く。ウなら うごきの ことば、「い」や「だ」なら ようすの ことば。いみを 考える ひつようは、どこにも ありません。
なぜ わざわざ 音で 見分けるのか。それは、いみで 見分けると かならず まちがえるからです。つぎの ことばを 見て ください。
「ある」は うごいて いません。「ねむる」に いたっては、うごきが 止まって いる ようすです。「思う」は 頭の 中の ことで、体は まったく うごきません。それでも これらは ぜんぶ うごきの ことばです。言いきりの 形の さいごが、る・る・う・る・る・る・る・る で、すべて ウの 音だからです。
ためしに 形を 変えて みましょう。ある→あった・あります。思う→思った・思わない。ちゃんと 変わりますね。形が 変わるのだから、やはり うごきの なかまなのです。
ここを「体が うごいて いるか」で 決めて しまうと、「ある」や「思う」で 立ち止まります。つまずく 子の 多くは、この 種類の ことばで 手が 止まって います。いみを 見ずに 音を 聞くと、こういう ことばも まよわず ○に できます。
では、なぜ うごきの ことばだけ、わざわざ 形を 変えるように できて いるのでしょうか。それは、形の ちがいが そのまま いみの ちがいに なって いるからです。
| 形 | れい | つたわる こと |
|---|---|---|
| 言いきり | 走る | ふだん そうする/これから する |
| 〜た | 走った | もう 終わった |
| 〜ない | 走らない | しない、と うちけす |
| 〜ます | 走ります | そうする(ていねいに 言う) |
| 〜たい | 走りたい | したいと 思って いる |
ここを 見ると、日本語の おもしろさが わかります。いつの 話か・したのか しないのか・ていねいか どうか ── ぜんぶ、ことばの おしりだけで 言いわけて いるのです。「きのう」や「まだ」と いう ことばを つけ足さなくても、走った と 言うだけで もう 終わった ことが つたわります。
だから 文の おしまいを 読みまちがえると、話 ぜんたいが ひっくり返ります。「行った」と「行かない」は、ちがうのは おしりの 数文字だけですが、中身は 正はんたいです。文を 読む とき、おしまいまで 目を はなさないのは、この ためです。
そして、形が 変わる 部分は ひらがなで 書きます。走る・走らない・走った の うち、漢字で 書けるのは「走」だけで、る・らない・った は ひらがなに なりますね。これが 送りがなの 正体です。送りがなが あるのは、うごきの ことばが 形を 変える からなのです。
見分けが できるように なったら、つぎは 使う ばんです。作文が「なんだか ぼんやり して いる」と 言われる とき、原いんの 多くは うごきの ことばが ざっくり しすぎて いることに あります。
ほかの ところは 一字も さわって いません。それでも、三つの 文は まったく ちがう 場めんに なりました。さけんだ なら おこって います。つぶやいた なら あきれて います。わらった なら じょうだんです。おしまいの 一語を 取りかえる だけで、ようすを せつめいする 文が まるごと 一つ、いらなく なったのです。
「見た」も 同じように 取りかえられます。ながめた、のぞいた、見上げた、にらんだ、見つめた。「行った」なら、走って いった、かけこんだ、そっと 近づいた。作文を 書きおえたら、文の おしまいの ことばだけを たてに 読んで みて ください。言った・見た・行った・した ばかりが ならんで いたら、そこが 直しどころです。
その1 「うごき」に こだわって しまう。「ある」「いる」「思う」で 手が 止まるのは、いみで 分けようと して いる しるしです。音だけ 聞きましょう。
その2 言いきりの 形に もどし わすれる。「走った」の さいごは「た」ですが、これは まだ そろえて いない すがたです。走る に もどせば「る」に なります。もどす 前に 音を 聞いては いけません。
その3 「〜い」で 終わる ことばと まぜる。「おもしろい」「うれしい」は ようすの ことばです。じつは 形は 変わります(おもしろかった)が、言いきりは「い」なので うごきでは ありません。形が 変わる=すべて うごきの ことば、では ないところに 気を つけて ください。だから 音を 聞く 手じゅんが 二つめに 要るのです。
その4 名前の ことばに「だ」が ついて まよう。「犬だ」の さいごは「だ」です。でも これは「犬」+「だ」で、犬 じしんは 形を 変えて いません。「だ」を ぬいて みて、のこった ことばが そのままで 通じるなら、それは 名前の ことばです。
紙と えんぴつだけで できる、三つの たしかめです。
① 音あて。つぎの ことばを 言いきりの 形に もどして、さいごの 音を 言って ください。「およいだ」「まちました」「かんがえない」「たのしい」。答えは 順に、およぐ(ぐ)、まつ(つ)、かんがえる(る)、たのしい(い=ようすの ことば)です。さいごの 一つだけ なかまが ちがいます。
② ない つけ。「ない」を つけて 言えるか ためします。走る→走らない(○)、犬→犬ない(×)。○に なった ものが 形を 変えられる なかま、×が 名前の ことばです。
③ 三十秒 さがし。読んで いる 本を 開いて、一ページの 中から うごきの ことばを 三十秒で いくつ 見つけられるか かぞえます。文の おしまいを 先に 見ると、はやく 見つかります。つぎの 日に 同じ ページで やると、ふえて いる はずです。
Q1 「べんきょうする」も うごきの ことばですか。
A はい。言いきりの 形の さいごが「る」です。べんきょうした・べんきょうしない と 形も 変わります。「そうじする」「れんしゅうする」など、名前の ことばに「する」が ついた なかまは たくさん あります。
Q2 「大きくなる」は ようすの ことばですか、うごきの ことばですか。
A これは 二つの ことばが つながった 形です。おしまいの「なる」が うごきの ことばで、文を しめて います。前の「大きく」は ようすの ことばの すがたが 変わった ものです。いちばん おしまいを 見るのが こつです。
Q3 どうして「ウ」の 音なのですか。
A 日本語が そういう しくみで できて いるから、と しか 言えません。理由を おぼえる ひつようは なく、そう なって いる という 事実を 道具として 使えば じゅうぶんです。中学校で「動し」と いう 名前で ならい直しますが、見分け方は まったく 同じです。
Q4 文の おしまいに ない うごきの ことばも ありますか。
A あります。「走る 犬」の「走る」は、うしろの「犬」を せつめいして います。この ときも 形は 言いきりと 同じ「走る」です。おしまいに あっても とちゅうに あっても、ウの 音で 終わって いれば うごきの ことばです。
教科書では「うごきを あらわす ことば」を 意味で 分類させる ことが 多いのですが、「ある」「いる」「思う」「わかる」といった 状態を あらわす 語が 出た とたん、意味による 分類は 破たんします。ここで つまずいた 子は「自分は 国語の センスが ない」と 思いこみがちですが、原因は センスでは なく 基準の ほうに あります。
言い切りの 形に 直して 末尾の 音を 聞く、という 手順なら 迷いが 出ません。ご家庭では、テストの 正誤を 見る 前に「言い切りの 形に 直した?」と 一言 聞いて みて ください。直し わすれが 原因の 誤答は かなり あります。
この 単元は、送りがな(3年)、動詞の 活用(中学)へ そのまま つながります。いま「形が 変わる ことば」という 感覚を つかんで おくと、後で 覚え直す 手間が 大きく へります。
なお、作文指導の 場面では「くわしく 書きなさい」と 言うより、「『言った』を ほかの ことばに かえられる?」と 一点だけ 指定する ほうが、子どもは 動きやすく なります。