1年 生活 まちの人と なかよく なろう

まちの人と なかよく なろう ── あいさつは「顔を おぼえて もらう」ため

まちには、名前は 知らないけれど 毎日 会う 人 が います。その 人たちと ことばを かわすと、まちの 見え方が 変わります。

「名前を 知らないけれど 知って いる 人」

学校へ 行く 道を 思い出して みて ください。横だん歩道で 旗を もって 立って いる 人、パン屋さんで パンを ならべて いる 人、公園の 草を かって いる 人 ── 名前は 知らないのに、顔は 見た ことが ある 人が、たくさん いる はずです。

1年生に とって、世界は はじめ 「家の 人」と「学校の 人」 の 2つ しか ありません。その まん中に、じつは まちの 人 と いう 3つめの まとまりが あります。この 単元は、その 3つめに 気づく ための 学しゅうです。

「まちを 見に 行く 学しゅう」と いうと、場しょを しらべる ことだと 思われがちです。けれども 1年生の 中心に あるのは 場しょでは なく 人 です。おなじ 公園でも、そうじを して くれる 人が いると 分かった とたん、公園は 「あそぶ ところ」から 「だれかが 大事に して いる ところ」に 変わります。

1年生の うちに 出会う 人

見まもりの 人、こう通しどうの 人、お店の 人、ゆうびん屋さん、しょうぼうしょの 人、じどうかんの 人、きんじょの おとなり さん。ふだんの 生活の 中だけでも、これだけ 多くの 人と すれちがって います。

あいさつは 「れいぎ」より さきに 「あんぜん」

「あいさつを しなさい」と 言われても、なぜ するのかが 分からないと、子どもは 声が 出ません。1年生に つたえたい りゆうは、じつは 2つ あります。

りゆうどう いう こと
気もちが いいから言われた 人も、言った 人も うれしく なる
顔を おぼえて もらえるから「いつもの 子だ」と 分かって もらえると、こまった とき 助けて もらいやすい

2つめが とても 大切です。まちの 人は、毎日 声を かけて くる 子の 顔を おぼえます。すると 「今日は いつもと ようすが ちがう」 と 気づいて もらえる ように なります。ころんで 泣いて いる とき、道に まよって いる とき、声を かけて くれるのは、たいてい 顔を おぼえて くれて いる 人 です。

あいさつは、れいぎの ためだけの ものでは ありません。自分を まもって くれる つながりを つくる 道具 でも あるのです。

「知らない 人」と 「まちの 人」の ちがい

ここで、おうちの人も 子どもも まよいやすい ことが あります。「知らない 人に ついて いかない」と 教えて いるのに、「地いきの 人には 声を かけよう」と 言う ── 反たいの ことを 言われて いる ように 聞こえるからです。

この 2つは、じつは ぶつかりません。分けるのは かんたんで、「立ちどまって 話すか」ではなく「ついて 行くか どうか」 です。

ばめんどう する
すれちがって 「おはよう」と 言う◯ どんどん する
お店の 人に 「ありがとう」と 言う◯ その 場で 言う
「こっちに 来て」と さそわれる× ついて 行かない・すぐ はなれる
車の 中から 話しかけられる× 近づかない・おとなに 知らせる

「明るい ところで、はなれた まま、声だけ かわす」なら あんぜんです。くらい ところ・せまい ところ・車の 中へ 行く ことだけは しない ── この 線の 引き方を、ことばで はっきり つたえて おきます。

きいて みよう ── しつもんの しかた

つぎは しつもん です。1年生が 話を 聞く ときは、むずかしい ことを たずねる ひつようは ありません。「知りたい」と 思った ことを、そのまま 聞く だけで 十ぶんです。

だいじなのは、聞く 前に じゅんばん を おぼえる ことです。①声を かける → ②名前と 学校を 言う → ③聞いても いいか たずねる → ④しつもん → ⑤お礼、の 5つです。この じゅんばんは、3年生の 社会科の 見学でも、6年生の 取ざいでも おなじ ですから、1年生の うちに 体で おぼえて おくと ずっと 役に 立ちます。

メモは 絵でも いい

1年生は 字を 書くのが おそいので、聞きながら 書こうと すると 話が 頭に 入りません。絵や 印だけ を のこして、帰って から ことばに する ほうが うまく いきます。

まちの 人は 「見えない ところ」で はたらいて いる

まちの 人と 話すと、子どもは かならず 一つ おどろく ことに 出あいます。それは 「じぶんが 見て いない 時間に、その 人は もう はたらいて いた」 と いう ことです。

パン屋さんは、子どもが おきる ずっと 前から パンを やいて います。ごみを あつめる 人は、子どもが 学校に いる あいだに 来て います。見まもりの 人は、雨の 日も 立って います。自分が ねむって いる あいだにも、まちは 動いて いた ── この 気づきは、1年生に とって とても 大きな はっけんです。

ここまで 来ると、「ありがとう」の ことばの 重さが 変わります。言わされる 「ありがとう」ではなく、りゆうの ある 「ありがとう」 に なるからです。

じぶんも まちの 一人

この 単元の 行きつく さきは、「まちに して もらう」から「まちに して あげる」へ と いう 気もちの 変化です。

どれも 小さな ことですが、1年生が じぶんの 力で できる まちへの おかえし です。「まもられる がわ」だけでは なく、「まちを つくる がわ」にも なれると 気づいた とき、まちは ぐっと 近く なります。

つまずきやすい ところ

その1 はずかしくて 声が 出ない

声が 出ないのは、やる気が ないからでは なく、ただ はずかしい からです。
いきなり 一人で 言わせず、はじめは おうちの人が 先に 言い、あとに つづける だけで かまいません。声の 大きさより、「言えた」と いう 回すう を つみ上げます。

その2 返して もらえず、へこむ

いそいで いる 人や、耳が 遠い 人は、返せない ことが あります。ここで 「むしされた」と 思って しまうと、つぎから 言わなく なります。
「返って こなくても せいこう」 と 先に つたえて おくと、心が 折れません。

その3 どの 人に 話しかけて よいか わからない

「まちの 人」と 「気を つける 人」の 見分けは、1年生には むずかしい ものです。
見た目で 決めさせず、ばしょと ばめんで 決める ように します。「お店の 中の 人」「旗を もって いる 人」「おうちの人が いっしょの とき」── この 3つなら 安心、と 決めて おくと まよいません。

やって みよう

Q1 学校へ 行く 道で 会う 人を、思い出して 3人 書いて みましょう。

A 旗を もつ 人、お店の 人、犬の さんぽを して いる 人 など。名前を 知らなくても かまいません。

Q2 声を かける りゆうを、2つ 言えますか。

A ①気もちが よく なるから ②顔を おぼえて もらえて、こまった とき 助けて もらいやすく なるから。

Q3 まちの 人に 聞いて みたい しつもんを、1つ 考えましょう。

A 「たのしい ことは 何ですか」「何時から はたらいて いますか」など。聞く 前の 名のりと、あとの お礼を わすれずに。

まとめ

おうちの方へ

この単元でいちばん扱いにくいのが、「知らない人にはついて行かない」という防犯の教えと、「地域の人に声をかけよう」という生活科の教えが、子どもの中でぶつかって見えることです。大人には自明でも、1年生には矛盾に感じられます。
おすすめは、線引きを「話すか話さないか」ではなく「ついて行くかどうか」に置き換えて伝えることです。明るい場所で、離れたまま、声だけ交わすのは安全。逆に、暗い場所・狭い場所・車の中へ移動することだけは絶対にしない。この一点に絞ると、1年生でも判断できるようになります。
また、返事がもらえない経験でくじけてしまう子は少なくありません。「返ってこなくても成功」と先に伝えておくと、結果ではなく行動そのものを評価でき、続きやすくなります。
お店や見守りの方に質問する機会があれば、ぜひ付き添って、たずねる順番(声をかける→名乗る→聞いてよいか確認→質問→お礼)を一緒になぞってあげてください。これは3年生の社会科見学、さらに上の学年の取材活動でもそのまま使う型です。1年生のうちに体で覚えておくと、あとの学年がずっと楽になります。